2012年2月25日土曜日

どのようにラップダンスを与えるのですか?

ロック (音楽) - Wikipedia

ロック(英: rock)は、アメリカで1950年代に黒人音楽と白人音楽の融合により生まれたポピュラー音楽のジャンルである。ジャズ、リズム・アンド・ブルース (R&B) と共に世界中に広まったアメリカ発の音楽であり、世界中の音楽シーンに衝撃を与えただけでなく、その影響はポップカルチャー全体に及び、その社会的インパクトは極めて強かった。

  • 下記に述べられた欧米のロックに強い影響を受けて発展してきた「日本のロックミュージック」に関しては、日本のロックも参照。

[編集] 演奏・音楽形態

いわゆるロックバンドスタイルで演奏される。ボーカル、ギター、ベース、ドラムを基本構成とする。また、この構成にプラスして、キーボード、ピアノなどの鍵盤楽器やトランペットやトロンボーン、サックスなどのホーンセクションが加えられる場合もある。更に、アーティストによってはヴァイオリン・コントラバスのようなもっぱらクラシック音楽で用いられる楽器を加えることもあり、その他にも、(主に1980年代以降のロックにおいて)シンセサイザーやコンピュータサウンドを併奏させることもある。

稀な例外を除き、8ビート、2ビートか、或いは16ビートで演奏される音楽である。激しいビートサウンドが特徴であるが、今日でも様々な演奏様式を取り入れながら発展し続けており、この範疇に入らないロックも増えている。いずれにせよ多くは4分の4拍子の範疇であり、おおむね1曲あたり3分から5分の演奏時間となり、シングルや音楽配信で商業的に1曲ごとに切り売りされる。

[編集] 文化的特性

最初期の多くのロックは既成概念や体制に対する反抗心や怒りを強く表現することが主体で、対抗文化(カウンターカルチャー)としての存在意義を持っていた。しかし、当初はアウトローな存在として登場したロックのムーブメントも、やがて人気を得るにつれて大衆性を強めて逆にメインストリームとなり、更にそれに対する新たな対抗文化=新たなるロックジャンルが生まれる、という流れを表面上では何度も繰り返している部分がある(そもそもロックはその勃興において、既存のジャズやクラシックに対する若者に訴求しやすい新たな対抗音楽文化として生誕しているという側面もある)。しかしながら、例えば「A」というロックジャンルに対する対抗ジャンル「B」も大枠で見て同様に「ロック」であるため、この項で扱わ� �るロックの概念に逸脱するような本質的な差異には当たらない。

ロックミュージシャンのことをしばしば「ロッカー(Rocker)」と呼ぶ。ただし、かしこまった感が強い用語なので、NMEなどの有力媒体を始めとして、近年ではこの言葉が扱われることは少なくなっている。

一部では、演奏家やファンの生き方や精神性の部分に「ロック」の定義を求めるような意見や論調もある。

[編集] 呼称について

ロックという言葉は黒人の俗語で性行為をあらわす意味のロックンロール(Rock and RollあるいはRock'n'Roll)の略語として、その黎明期からしばしば用いられていたが、1960年代には逆にロックという呼び方が一般化し、ロックンロールと呼ぶことは少なくなった。イギリスやアメリカでは現在も、かしこまった言い方としてロックンロールという言葉が用いられることもある。

一方で「ロックンロール」と「ロック」とは別のものとして捉えられる意見も存在する。この概念においては、1960年代サウンドが進化してその枠を壊し、新たなサウンドの多くが生まれ、それらのサウンドの総称として「ロック」という言葉が使われている。これは「ロックンロール」は多様化してきた「ロック」の中の一つのジャンルである、という捉え方だと言える。

[編集] ロックの定義

ロックの定義(もしくは範囲)をどう捉えるかについては諸説がある。ここでは代表的な3つの捉え方を紹介する。

[編集] 最広義のロック

1950年代以降のロックンロール誕生以後のポピュラー音楽のうち、若者を主なターゲットとする音楽を全てロックとして捉える定義。この定義では狭義のポップスやソウル/R&Bもロックの範疇に入る。この捉え方は一般にはあまり浸透していないが、ロックとソウル/R&Bは特に1950年代においては区別しにくいことや、人種差別に至らせないため(「ブラックミュージック」という言い方を避けるため)の配慮から、特にポピュラー音楽を学術的に研究する場合などに用いられることが多い。

[編集] 広義のロック(英語圏や欧州などを中心に最も世界的に浸透している定義)

最広義のロックからソウル/R&Bを除いたものをロックとして捉える定義。アメリカではラジオ局がロックとソウル/R&Bで分かれていることや、レコード店の商品陳列がこの定義に従っていることが多いため、もっとも広く浸透している定義である。この定義を採用した場合、ブルー・アイド・ソウルをロックに含めるかソウルに含めるかは人によって考え方が異なる。

[編集] 狭義のロック(日本で広く浸透している「ロック」)

「広義のロック」から「ポップス」を除いたものをロックとして捉える定義。日本ではこの定義が比較的広く浸透している。

ここで言う「ポップス」は一般に、(1)自作曲中心でない、(2)バンド(ギター、ベース、ドラムスが主となる)という演奏スタイルでない、(3)アーティストの自主性よりもレコード会社の主導性が強いなどの特徴を持つものとされる。この「ポップス」の概念は、そもそもが日本の独自性の強い概念である(ポップ・ミュージックも参照)。

つまり、ここで言う「ロック」は、

  • 曲を自作
  • バンドスタイル(ギター、ベース、ドラムスが主流)の演奏
  • アーティストの自主性で成り立つ

そして、尚かつソウル、R&Bなどではないということである。

具体的にどのアーティストがロックでどのアーティストがポップスかは人によって考え方が異なる。

[編集] ロックの歴史

下記ではロック・ポップミュージックの生誕の中心となった英米のポピュラーミュージックを核として述べる。

[編集] ロックンロール(1954年-1960年)

ロックンロールがいつ誕生したかについては諸説があるが、少なくとも1954年にビル・ヘイリーの "ロック・アラウンド・ザ・クロック" のヒットや、チャック・ベリー、リトル・リチャードの登場によって、ロックンロールはアメリカのポピュラー音楽における一大潮流のひとつとなった。同年にサン・レコードからデビューしたエルヴィス・プレスリーが1956年に大手RCAに移籍して大スターになったことにより、その影響力は決定的なものとなりバディ・ホリー、ロイ・オービソン、エヴァリー・ブラザーズらが続いた。


ここで、ヴァネッサ·ハジェンズは、住んでいるんだろう?

ロックンロールはクラシックやジャズ、ゴスペルなどといった音楽ジャンルに代わる若者に訴求しやすいカウンターカルチャーとして創始された側面が多分にあり、これはチャック・ベリーの楽曲「ロール・オーヴァー・ベートーヴェン」などの精神性に顕著である。この概念は、「ロックンロールはある特定の体制・要素(時代によってそれは多様に変質していく)への対抗文化である」という思考に結実し、以降のロックの発展において一種のアティチュード的なものとして隆盛することとなった。

1959年頃からロックンロールは徐々に洗練化を進める。アーティストによるオリジナル・ソングやブルースのカヴァーを中心としたレパートリーに代わり、ロックンロール向けの新曲を提供する音楽出版社が台頭し、ストリングスなども導入されるようになった。この流れを「ブリルビルディング・サウンド」と呼び、この頃から "ロックンロール" に代わって "ロック" という呼び方が一般化する。

この時期の詳細についてはロックンロール、ロカビリーも参照。また、ロックンロールのルーツ、或いはこの時期以降についてリズム・アンド・ブルース、ブルースも参照。

[編集] サーフィン・ホットロッドとリバプール・サウンド(1960年-1964年)

ロックにおいてはサウンドの洗練化がある程度まで進むと、それへの反動としてプリミティヴなパワーを持ったギター・サウンドの復権が起きるという流れが何度か繰り返されている。その最初の例が、ブリルビルディング・サウンドに対するサーフィン・ホットロッド・サウンドの登場である。

ロックはボーカルを中心とするサウンド作りを基本とするが、ロックンロール黎明期からインストルメンタルの作品も存在した。その場合に中心となる楽器はエレクトリックギター、サックス、オルガンなどだが、次第にエレクトリックギターが主役の座に着く傾向が強まった。この傾向は1958年に登場したデュアン・エディと1960年に登場したベンチャーズによって確定的になった。

こうした流れを受けてカリフォルニア州の若者たちの間で1961年頃から流行したのが、サーフィンをしている時の感覚をエレクトリックギターを中心としたインスト音楽で表現したサーフ・ミュージックである。当初はインストであったサーフ・ミュージックにボーカルを付けたのがビーチ・ボーイズである。ビーチ・ボーイズの登場によってサーフ・ミュージックは一挙に全米に広がった。また、間もなく歌詞のテーマはサーフィンだけでなくホットロッド・レース(アマチュアによる公道での自動車レース)にも及んだため、これらの音楽をサーフィン・ホットロッド・サウンドと呼ぶ。

一方のイギリスでロックンロールの影響は徐々に広がっていった。1950年代のイギリスではスキッフルが流行していたが、スキッフルのミュージシャン達は、次第に自分達のサウンドにロックンロールの要素を取り入れていった。スキッフルと呼ぶよりはロックンロールと呼ぶ方が適切であるようなイギリスの音楽は1958年にデビューしたクリフ・リチャードを源泉とする。そして、1962年に登場したビートルズによってその流れは確実なものとなった。彼らの登場後、次々とフォロワー的なビート系バンドが登場した。その多くがビートルズの出身地であるリバプールのバンドだったため、リバプールサウンド(もしくはリバプールを流れる川の名前からマージー・ビート)と呼ばれている。

[編集] ブリティッシュ・インヴェイジョンとフォーク・ロック(1964年-1969年)

1964年、ビートルズはロックンロールの本場であるアメリカへの上陸をはたし、そのサウンドは全米を席巻することになった。ビートルズ以外にも、エリック・バードン率いるアニマルズやローリング・ストーンズ、ザ・フー、キンクスといったイギリスのロックバンドなどがこの時期つぎつぎとアメリカでヒットしたことから、これをブリティッシュ・インヴェイジョンBritish Invasion: イギリスの侵略)と呼ぶ。

アメリカでもブリティッシュ・インヴェイジョンの影響を受けて、後にガレージロックと呼ばれるグループが次々と登場し、一部のバンドは成功を収めた。

また、時を同じくしてブリティッシュ・インヴェイジョンの影響を受けたフォーク・グループも次々と登場した。これらのグループの多くは元々はフォークを演奏していた若者たちによって結成されたものであり、彼らの音楽性もフォークからの影響を消化したものだったため、この動きはフォーク・ロックと呼ばれる。フォーク・ロックの代表的アーティストは、ボブ・ディラン、バーズ、タートルズ、ママス&パパス、ボー・ブラメルズ、グラスルーツ、バッファロー・スプリングフィールドなどがいる。

ここで大切なのは、アメリカにおいてフォーク・ロックがロックンロールやロカビリーを継承し、復活させたことである。それは、ロックがほぼ完全に白人音楽へと移行したという意味合いを含んでいる。また、この時期はカウンターカルチャーとしてのロックが数多く誕生した時期でもある。

[編集] サイケデリックとロックの多様化(1966年-1969年)

また、この時期に、その後のロックサウンドを決定付けるギターのフィードバックサウンドやエフェクターの一種であるファズが生まれている。それまでは、真空管アンプによるナチュラルに歪んだ音で演奏されていたものが、よりヘヴィな音で表現可能となった。そこで生まれたジャンルの一つに、クリーム、ジミ・ヘンドリックスに代表される強烈にハードなブルースを演奏するブルースロックがあった。これらはファズより少し遅れて流行したエフェクターであるワウをファズと一緒に使用した。

実験的なサウンド作りという手法は次第に他のアーティストにも波及していった。中でも、音楽によって大麻やヘロインなどといったドラッグで起きるトリップ体験を表現するムーブメントが起こった。その幻惑的なサウンドはサイケデリック・ロックと呼ばれた。ドアーズ、初期ピンク・フロイド、ジェファーソン・エアプレイン、グレイトフル・デッドなどが代表格として知られる。これらもテープエコーやチェンバーなどといったエフェクターが鍵だった。楽器では、シタールを用いることが多かった。

実験性とは別に、他のジャンルの要素を取り込む動きも盛んになった。ブルースの影響を消化したブルース・ロック、カントリーとの合体を試みたカントリー・ロック、ブラス・ロックなどである。

[編集] ハードロックとプログレッシブ・ロック(1969年-1975年)

1960年代の終わりにレッド・ツェッペリン、ジェフ・ベック・グループが登場しブルース・ロックの演奏者たちは次第に、「ブルースをよりロックらしく演奏する」ことに重点を置くようになった。これは、ブルースをよりヘヴィで電気的な音で演奏することを意味する。前項で触れたエレクトリックギターのエフェクター類の発展や、大音量の出せるPA等も、これらの新しいサウンドを支えた。こうして生まれた潮流がハードロックである。特にレッド・ツェッペリンは、マスコミに露出することを嫌い、メディアにあまり登場しなかったにもかかわらず1970年代、世界で最も成功したスーパースターとなった。ディープ・パープル、グランド・ファンク・レイルロード、ブラック・サバスらが後に続き、1973年にはその影響を受けたクイ� �ン、キッス、エアロスミスがデビューした。またスージー・クアトロやアリス・クーパーは、グラム・ロックとハードなブギー・サウンドの両方の音楽性で人気を獲得した。


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同様に1960年代の終わりには実験的サウンドへの志向が強まり、長尺の曲や、哲学的なメッセージを込めた歌詞、楽器の演奏技術を極限まで高める風潮を呼んだ。この傾向はヨーロッパ、特にイギリスにおいて強く、シンセサイザーやメロトロンをフィーチャーし、クラシックをバックボーンに高度な技術を駆使したロックをプログレッシブ・ロックと呼ぶ。代表的なバンドはピンク・フロイド、イエス、キング・クリムゾン、エマーソン・レイク・アンド・パーマー、ムーディー・ブルース、ジェネシス等である。

この時期にはウッドストック・フェスティヴァル(ラテン・ロックのサンタナが華々しく登場)やモンタレー・ポップ・フェスティヴァルなどの大型野外イベントが開催され、ロックの社会的影響力が大いに増した。

こうした時代を象徴するのが、シンガーソングライター、スワンプ・ロック、サザン・ロックといった動きである。シンガーソングライターというのは本来、自作自演の歌手という意味だが、ここではパーソナルな心情をアコースティック・ギターを中心とする控え目なサウンドに乗せて歌う人たちを指す。ジェームス・テイラーやキャロル・キングがこのムーヴメントの中心である。1960年代のロックの社会変革的な思想に疲れた人々の耳を、彼らのサウンドは優しく癒したのである。

スワンプ・ロックとサザン・ロックは、カントリー・ロックと同様、土の香りへの回帰を意図するサウンドである。この動きもまた、それまでのひたすら革新を求める動きとは異なり、聴き手に安らぎを与えるものとして機能した。スワンプ・ロックはロサンゼルスで活動するデラニー&ボニーやレオン・ラッセルを中心とした動きだが、イギリスのジョージ・ハリスンやエリック・クラプトンも同傾向のサウンドへと向かった。サザン・ロックもサウンドの傾向は近いが、アメリカ南部を活動拠点とするオールマン・ブラザーズ・バンドやレイナード・スキナードの音楽を特にこう呼ぶ。

一方で1960年代後半に誕生したカントリー・ロック、ハード・ロック、プログレッシブ・ロックといった動きはこの時期にも盛んで、1960年代の思想的背景を失ったことにより、むしろ商業音楽としての自由度を確保したとも言える。また、この時期にはロックの持つある種の過激さを極度に薄めて、むしろポップスと呼んだ方が適切とも言えるカーペンターズやブレッドが登場し、ソフト・ロックの裾野を広げた。

1970年代前半、イギリスではファッションと演劇性を重視したT・レックス、デヴィッド・ボウイらのグラム・ロックが人気を集めた。

また1975年から1976年には、ティーンエージャーのアイドルとして、ベイ・シティ・ローラーズが女性を中心に芸能人的な人気を得た。ロックはポピュラー音楽の中心としての地位を確実なものにした一方、産業ロックへの批判も出てきた。

[編集] パンク・ロックの勃興(1975年-1979年)

1970年代前半は、複雑で大作主義のプログレッシブ・ロックやハードロックに代表される、お金や高度な技術が必要なロックに支配されていた。それに対して「ロックは死んだ」と宣言しストレートでシンプルなロックに回帰したロック・スタイルが、1970年代に生まれたパンク・ロックだった。

1973年デビューのニューヨーク・ドールズや、1970年代半ばに登場したパティ・スミス、ラモーンズ、ディクテイターズなどによりニューヨークで1975年ごろ誕生したといわれるパンク・ロック(いわゆるニューヨーク・パンク)は、ラモーンズのロンドン公演などを機にロンドンでも存在が知られるようになる。

1976年末にはダムドが活動をはじめ、翌年にはセックス・ピストルズが結成され、ジャム、ザ・クラッシュらが続きロンドン・パンクが興隆、大きな社会現象となる。当時のロンドン・パンクは、1960年代半ばまでのシンプルなロックンロールの原点に戻った。テクニックを気にしない「衝動」と「勢い」の攻撃的な演奏、右翼からの襲撃対象となる程の権力や体制に反抗的で過激なメッセージ性により、失業率が高く不満を抱えた労働者階級の若者たちの間で熱狂的に支持されていった。また、短くカットした髪を逆立たせ服を破いたそのスタイルも、パンク・ファッションとして若者の間でブームとなる。

しかし、元祖であるはずのアメリカでは大きなリアクションを得ることが出来ず、旗手であったセックス・ピストルズの解散以後、急速にパンクロック・シーンは変容、わずか数年ほどの短期間でこのムーブメントは終息していく。

一方で、ポール・ウェラー率いるザ・ジャムは、パンクでありながらもその精神性はザ・フーやキンクスらに追随するモッズスタイルを貫き、「ネオ・モッズ」として熱烈な支持を獲得。また、ピストルズ解散後のパンク・シーンを牽引したザ・クラッシュは徐々にパンクに留まらない幅広い音楽性を発揮し、世界的なバンドへと成長していった。

当初はブレイクする事のなかったアメリカにわたったロンドン・パンクであったが、その後細々とアンダーグラウンドで受け継がれ、後年にはノー・ウェーブやジャンクなどのより先鋭的なサウンドを生み出し、オルタナティヴ・ロックの基礎を作り上げていくこととなる。

[編集] ニューウェイヴとポスト・パンク(1979年-1983年)

パンク終息後のイギリスではニュー・ウェイヴというジャンル/言葉が生まれた。パンクの刷新性や精神を受け継ぎつつも、より幅広い音楽表現を追求した多様なバンドが数多く出現し、洗練を強めるシーンによってそれまで全盛を極めていた長髪のハードロッカーたちはオールド・ウェイヴと言われるようになる。

セックス・ピストルズの解散後、クラッシュやダムドとともにロンドン・パンクを支えたバンドであったストラングラーズは、ドアーズの影響を受けたサイケデリック・ロックの要素を強調して、パンクからニューウェイヴへの発展を印象付けた。

2トーンと呼ばれるスカのビートを取り入れたパンクを生み出したマッドネスやスペシャルズ、アメリカからはアフロ・ビートを取り入れた作品も発表したトーキング・ヘッズが登場し、それぞれロックにワールドミュージックのエッセンスを加えた。一方で、ディーヴォ、ニューオーダー、デペッシュ・モードらは当時先進的だった電子機材を大胆に導入してエレクトロニック・ミュージックをロックに定着させる新しい音楽を創る。その他、エッジが効いた鋭角的なギターサウンドによりポスト・パンクとも呼ばれたXTCやギャング・オブ・フォー、ザ・スミスらも一時代を築いた。

そんな多種多様なバンドが興隆するシーンの中でも特に、ホワイト・レゲエと呼ばれたポリス、パンクを昇華したギターポップを奏でるエルヴィス・コステロ、カルト的な表現の中に文学・哲学性を併せ持つザ・キュアー、社会派メッセージを壮大に叫ぶU2らは、商業的にも破格の成功を収めて世界的なビッグ・バンドとなった。

[編集] ヘヴィ・メタルの隆盛(1980年-1990年)

1969年から1976年にかけて一時代を築き上げたハード・ロックは圧倒的な人気があるだけでなくプログレッシブ・ロックと共に時代の最先端でもあった。しかし、1970年代後半のパンク・ロックやニューウェイブ・ムーブメントによりイギリスではオールドウェイヴ扱いとなり、1980年代にはその長髪と共にイギリス以外の国でも時代遅れのスタイルとみられるようになった。

そんな状況を打破したのは、1980年のアイアン・メイデン、デフ・レパードのメジャーデビューであり、彼らの台頭によるハード・シーンの復権は『NWOBHM(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル)』と名付けられた。このムーブメントはイギリス全土に広がり、この頃には従来のハード・ロックと区別される形で「ヘヴィメタル」の言葉も一般化する。


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イギリスに続いてアメリカにおいても、モトリー・クルーやラットの成功によりロサンゼルスを中心としたLAメタルと呼ばれたブームが生まれ、ドッケン、W.A.S.P.、ナイト・レンジャーなどのバンドが次々とメジャーデビューを果たしメタルシーンは活性・肥大化。

1980年代中期からは、オジー・オズボーンやエアロスミス、ホワイトスネイクの再ブレイク、ボン・ジョヴィ、ガンズ・アンド・ローゼズらのデビューと大ヒットにより、ヘヴィメタルは巨大化の度合いを強めていき、ポイズン、シンデレラ、スキッド・ロウなどが次々とブレイク。適度なワイルドさとキャッチーさを合わせ持ったヘヴィメタルは、MTVの大々的なバックアップもあってミュージックシーンを席巻することとなる。

ロック史においてこのHM/HRの存在を大きく捉えるのが日本の特徴であり、いわゆる「ロックミュージック」というと日本では一般的にこの時代のHM/HR的な音楽性が想起されやすい傾向がある。

ハードコア・パンクの影響もあり、ヘヴィメタルの攻撃性・速さを追求したロックミュージシャンも勢力を拡大した。メタリカ、スレイヤー、メガデスらにより確立されたスラッシュメタルは、アンダーグラウンドで多くのファンを獲得していき、後のブラックメタル、デスメタルに多大な影響を与えた。

[編集] ロックシーンの巨大産業化(1975年-1990年)

すでに1975年ごろからジャーニーやスティックスなどにより産業ロックの傾向があらわれていた。ほかにもTOTO、ボストンやフォリナー、ヴァン・ヘイレン、クイーン、キッスなども産業ロックのバンドと指摘されてきた。産業化したヘヴィメタルが派手な方向を目指す一方で、デュラン・デュランやユーリズミックス、ワム!といったバンド群もメタルシーン同様にMTV効果を最大限に活かした演出で市場を賑わし、第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの旋風を起こす。

上記のとおり、1980年代の音楽シーンを語る上でさけて通れないのがMTVである。1981年、バグルスの 「ラジオ・スターの悲劇」で放送開始した音楽専門のケーブル放送チャンネルは、ロックシーンを産業化していき、巨大な影響力をもつようになっていく。MTVでインパクトのあるビデオクリップを流すことが、「売れる」要素になっていき、ビリー・アイドル、マイケル・ジャクソン、マドンナらがスーパースターとなっていった。

この頃の音楽業界は、膨大な枚数のCDセールスが相次ぐ空前の好景気であり、ライヴ規模も含めて市場は巨大化の一途を辿った。以前から活動してきたミュージシャン達もこの時流に乗り、クイーンやフィル・コリンズ主導のジェネシス、ブルース・スプリングスティーンらがスタジアム級の巨大公演を世界中で実現させ、U2の「ZOO TV」ツアーにおいてそれは頂点を迎える。その流れは、チャリティー・ライヴ・イベントバンド・エイド開催など巨大慈善コンサート・ブームにも結実したが、ロックの商業的な肥大化は進む一方であった。

[編集] オルタナティヴ・ロック:グランジ旋風(1991年-1996年)

MTVが派手な産業ロックを垂れ流す一方、有線放送チャートやインディーズチャンネルでは、1960年代のオリジナル・パンクから1980年代のポストパンク・ニューウェーブの精神性に連なるオルタナティヴ・ロック(=非主流・型にはまらないロック)と呼ばれるサウンドが姿を現していた。この支持者たちは、メインストリームを闊歩するヘヴィ・メタルや市場の産業化を嫌悪し、独自のコミュニティを形成した。

その中から、アンダーグラウンドでの抜群の活動実績をもつR.E.M.がトップ・チャートでの最初の成功を獲得すると、ソニック・ユース、ダイナソーJr、ジェーンズ・アディクションら地下シーンの雄も次々とオーバーグラウンドに迎えられ次第にオルタナティヴ・シーンが活性化。そうして沸騰するシーンの熱気を受け継ぐように1991年、ニルヴァーナがメジャーデビュー作『ネヴァーマインド』を全世界で大ヒットさせ、彼らの出身地シアトルを震源にグランジブームが全米を席巻した。このグランジ旋風は既存のロック・シーンに大きな衝撃を与え、この波に押し流された多くのメタルバンド達は表舞台からその姿を消していった。

1994年のニルヴァーナのリーダーであったカート・コバーンの自殺により、グランジブームはオルタナティヴ・ロック・ムーブメントに呑み込まれる形で終わりを迎える。しかしさらに多様性を増したオルタナティヴ・シーンは、ドラマティックな楽曲展開で支持を得たスマッシング・パンプキンズやパール・ジャムらを中心に、フー・ファイターズやウィーザーのようなグランジを経過した上でのキャッチーなメロディを提示したバンドによって引き継がれていく。さらには、DIY精神に則り、雑多なジャンク嗜好と手作り感を敢えて実践する手法(=ロー・ファイ)を用いた職人志向のミュージシャンも注目を集め、ベックやフレーミング・リップスらがその俊英として脚光を浴びる。

[編集] オルタナティヴ・ロック:ヒップホップとの融合(1986年-1992年)

グランジ勃発に先立ち、全く別個の音楽として棲む世界を異にしていたヒップホップとロックを融合する動きも萌芽していた。1986年、ビースティ・ボーイズがパンク・バンド形態でラップを展開する手法を創始したことを先駆けに、ランDMCがエアロスミスの楽曲をヒップホップ・リメイクした「Walk This Way」、パブリック・エナミーがスラッシュメタルの首魁アンスラックスと共演した「Bring the Noise」発表と共同ツアー実施など、各所で異文化音楽同士のコラボレーションが実現した。

こうして形作られていったラップロックと呼ばれる音楽は、レッド・ホット・チリ・ペッパーズの5thアルバム『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』(1991年)の大ヒットにより、広く市民権を得ることとなる。これらラップロックは日本では特にミクスチャー・ロックという呼称で定着する。

このラップロック/ミクスチャーは、グランジとはまた別のオルタナティヴ・ロックとしても認知され、ほどなく、これらグランジもミクスチャーもローファイもその他ノイズロックやインダストリアルなども全てひっくるめた「型にはまらない新しいロック」の総称としてオルタナティヴ・ロックがロックのメインストリームとして定着し、一定の音楽性を示す用語ではないもの、1980年代のHR/HMとは違うロックのためのくくりとして、メジャーな1ジャンルへと転化していく。

[編集] USヘヴィ・ロックとUKブリット・ポップ(1992年-2000年)

オルタナティヴ・ロックの主流化を担ったミクスチャー・ロックは、よりヒップホップとの融合を掘り下げて進めたレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンによって発展し、コーンらとともにラップメタルの1大ムーヴメントを興した。同時期、グランジによって刷新されたメタル・シーンの土壌には、ナイン・インチ・ネイルズ、トゥールら複雑緻密な音像を追求する技能集団によるアート性が開花する一方、特殊な扮装を施したマリリン・マンソンやスリップノットなども人気を博した。これらの動きは、1980年代の産業ロック・メタルとは違う新たなヘヴィ系ロックとしてニュー・メタルと呼ばれた。

1990年中頃になると、グリーン・デイとオフスプリングが登場。彼らの登場は、グランジ旋風によってシーン垂れ込めていた退廃的な空気を一蹴するように、ポップでわかりやすいメロディーに彩られたポップ・パンクが10代の若者を中心に爆発的に広がり、これにランシドやブリンク182も続き、大きな成功を収めた。


しかしながら、アメリカ中心の上記両シーンは、直後からブームに便乗した一過性のフォロワーによる追随が蔓延する事態を招き、2000年以降、リンプ・ビズキットやリンキン・パーク、あるいはSUM 41やフォール・アウト・ボーイ等のブレイク辺りですでに産業化の様相を呈し、次第にシーンは飽和形骸化し当初の革新性を失っていった。

US産のグランジからその後のヘヴィ・ロック勢が怒涛の盛り上がりを見せる一方で、同時期の英国では往年のブリティッシュ・ロックに回帰しモッズの精神を、いわゆる「UKロック」のアイデンティティを取り戻す機運が高まっていた。すなわちブリットポップムーヴメントは、その旗手としてブラーとオアシスの2大バンドを軸に展開し、老若男女問わず多種多様なバンド群が登場した。プレスの過剰な煽りを受けたこともありブリットポップそれ自体は数年で終息するものの、流れはレディオヘッド、トラヴィスを筆頭にメランコリックな叙情性とインテリ性を強め、ミューズ、コールドプレイら有力な後続もあってナードな音楽性がその後の英国シーンを牽引していった。

[編集] デジタルテクノロジーとロックの結合(1980年-2000年以降)

1980年代にニュー・オーダーなどのニュー・ウェーブ勢アーティストがロックとデジタルテクノロジーの融合に先鞭をつけたのを皮切りにして、イギリスでは1980年代末から1990年代初頭にかけてハウス・ミュージックが流行し、新型のドラッグ流布と相まってレイヴカルチャーが形成されていた。ストーン・ローゼズやプライマル・スクリームなどはダンス・フロアの盛況とサイケな空気感をロックバンドで体現してマッドチェスタームーブメントを牽引、この盛り上がりは直後のブリットポップにも直接的な影響を与えることとなった。

この動きを下敷きに、旧来のテクノミュージックとオルタナティヴ・ロックとの融合を図ったプロディジーやケミカル・ブラザーズが登場し、ロックとダンスのクロスオーヴァーをビッグ・ビートとして大成させた。

一方で、テクノロジー技術の発達による電子音楽・サンプリング音楽の発展から、エレクトロニカやヒップホップをロックに取り入れつつも、それをひたすらダウナーに鳴らし「踊れないダンス・ミュージック」として体現したマッシヴ・アタックやポーティスヘッドなどのトリップホップアーティストも続々とシーンに登場し、主に欧州を中心に人気を得る。

こうしたデジタル・テクノロジーの発達は、レコーディングのプロセスと風景を一変させ、音楽創作におけるプロダクションに大きな可能性を与えた。音楽技術の高度化は、前衛志向のミュージシャン達による実験的なアプローチを促し、ロックの解体と再構築という試みが進んだ。コンピューターによって音像を編集し、音響効果に特化したこの動きはトータスやオウテカ、エイフェックス・ツイン、ビョークらによって徐々に形作られ、2000年までにはポスト・ロックとして商業的にも認知されるようになる。

[編集] インディ・ロックの時代(1994年-2000年以降)

1990年代以降のグランジやブリットポップの流行は、メジャーレーベルに所属しない多くのインディー・バンドがトップ・チャートで活躍できる事実を示したが、2001年にデビューしたストロークスやホワイト・ストライプスなどのインディーバンド勢は、当時世界的なヒップホップ・R&Bの台頭の中で勢いを失っていたロックを復権する=『ロックンロール・リバイバル』を主導するほどにその存在感を発揮。その後もその流れを引き継ぐ形で、リバティーンズやアークティック・モンキーズ、カサビアン、カイザー・チーフス、ブロック・パーティーなど多くのインディギターバンド勢が主軸としてチャートを席巻した。

インディ・ロック全盛の2000年代でも、とりわけフランツ・フェルディナンドやザ・キラーズ、クラクソンズなどを中心に1980年代ニュー・ウェイヴの影響を消化したダンサンブルなインディ・ロックが主流を形成しており、クラブ・ダンスミュージック界との交流も活発化して「踊れる」要素が重要視される傾向となった。

また、1980年代から1990年代のシーンの変動動向とは違い、2000年代のロックシーンは前代の1990年代から活躍するバンドも依然好調を堅持しているのが特徴である。加えてインターネットの普及発達により、バンドのプロモーション・紹介に利用する動きが世界的に活発となっており、レディオヘッドやナイン・インチ・ネイルズらによる無料ダウンロードによる作品発表を実験的に試みる動きも見られ、現在、ロックひいては音楽界全体で、大きな市場変動が進みつつある。

[編集] ロックと音楽製作

ロックの発展期とレコードの製作技術と録音技術の発展期とは重なる。ロックンロールが生演奏を再現するためにレコードを用いたのに対して、ビートルズ以降のロックはレコードでこそ実現できる音楽を目指した。そのため、複雑な多重録音やステレオ再生を生かしたミキシングなどが多用された。その史上初の試みはビートルズのサージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドやビーチ・ボーイズのペット・サウンズ等においてなされた。これは全く新しい音楽の製作姿勢であり、その後、多くのミュージシャンが様々な試みを導入することで短期間のうちに多様なスタイルが生まれた。その影響はレコード (CD) 製作される音楽全てに及んでいる。

その反面、複雑に構成された楽曲をライブで演奏することが不可能になり、レコードにおける完成度とライブ演奏との落差が指摘される事態にもなった。これにたいしてライブにテープレコーダーを持ち込み生演奏の補完をすることで乗り切る試みもおこなわれ、これによりステージ上では何人かのメンバーがヘッドフォンで録音されたガイド信号を聞きながら演奏する光景が多く見られるようになった。更にこの生演奏志向の軟化が、打ち込みによるシンセサイザー使用やDJのライブ参加といった他ジャンルの手法をロックに持ち込み、音楽性の拡張を促すきっかけとなった。2011年現在ではオルタナティヴ・ロックを中心にこうした取り組みが当たり前になってきているが、一方でバンドスタイルによる生の臨場感を重視する声も根強� ��、このような手法を用いた楽曲及びグループについて、しばしば評価を分かつことになっている。

さらには本来ドキュメンタリーとしての性格が強かったライブ録音までも後からの編集、オーバーダビングにより完成度を高める手法が多用されるようになり、一部の音楽ファンや評論家からは「スタジオ盤と意義の差がない」として異論が出されることもある。

[編集] ロックとファッション

[編集] ロックのサブジャンル

新しい感覚を盛り込んだロックが同時期に複数のヒット曲やアルバムを生んだ場合、新たなカテゴリで呼ばれるようになる。それをロックのスタイルという。多くは配給企業の営業目的から命名されるが、その後も音楽的な影響を保ちつづけ一過性に終わらないものもある。基本的には、一定の音楽的作風を対象とする分け方であれば、そこにジャンルとして分類する必然性が生まれ得るため、ムーブメントが去っても消えずに長く続くことが多い。



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