2012年4月30日月曜日


(1)引きこもりと不登校、ニート

 不登校・引きこもりの状態に、私は本質的な差異はないと考えています。不登校は、学校所属を前提とし、引きこもりはそれを前提としませんので、一般には不登校のほうが年齢層が低くなります。引きこもりは学校在籍を含みますが、それを超えた年齢層に広がっています。

 主にこの学校所属と年齢層の違いが、両者に副次的な違いをもたらしています。

 不登校は、学校に登校できない(しない)状態像であり、それは引きこもりが唯一の理由ではありません。実はニート(NEET=Not in Enployment,Educatin or Training、若年無業者)も不登校と同じで、引きこもりがニートの唯一の理由ではありません。不登校には非行型、ニートにはヤンキー型と言われる人たちがいて、これは引きこもりとは対極の状態像を示す人たちです(背景には共通する部分はあります)。

 そのような引きこもりが主な理由ではない不登校、ニートに関しては、以下に述べる事情は必ずしも当てはまりません。引きこもりを共通する状態像であると考え、その本質、背景、現状および対応(脱出)方法を、比較的平易に説明します。

 引きこもりとは何かは、いくつかの原因や定義づけがされています。いずれも参考になる意見ですが、あまり深入りしないことにします。対人関係(特にある人との継続的な人間関係)から距離をおこうとするのが、引きこもり現象の中心的な部分です。「外出する・しない」というのは、それに比べれば二次的な要素でしょう。

 ただ一般には、この理解が定着しているとは思えませんから、この文の中でも自宅からほとんど外出しない人を引きこもりと表現することもあります。

(2)引きこもりのさまざまな原因・理由

 引きこもり(前述の意味で不登校、ニートを含む。以下同じ)が、日本でこのように増えていることに関しては、いくつかの意見があります。私がこれまで見聞きしたこと、本で読んだことのなかで、納得できる理由を列挙してみます。

@日本が、特に1960年代以降の高度経済成長期をとおして、高度に発達した経済社会になり豊かな国になっている。

A食生活が、この30〜40年間に大きく変わり、それらが心身の状態に影響している。農薬の影響、カルシウムなどミネラルの不足、乳幼児の母乳哺育の後退。

B旧来の家族関係が崩れ、新たな家族関係が十分に形成されないなかで、かなり多くの家族内にゆがみが出、矛盾がたまり、家族内の弱い立場の人(子どもなど)に問題が表われやすくなっている。

C伝統的な地域的共同体が崩れ、隣近所のつながりが少ない新興開発住宅地域やマンション住居者を典型的に、子育てが家族内のプライベートな事柄になっている。ここでは育児書が子育ての教材になり子育てが画一的な基準に左右されやすくなっている。

D明治期につくられた学校制度が百年以上の歳月を経て、子どもと社会の実情に柔軟に対応できずにいる。それが不登校の子どもとして表面化している。

E日本社会が変革期に入り、さまざまなゆがみや矛盾が、社会のなかの弱者に当たる人たちのところで表面化する社会病理現象を示している。

 見聞きしたことを私なりのしかたで表わしましたので、必ずしも一般に普及している表現とは同じではないかもしれませんが、おおむねこのような理由が語られているように思います。これらは、子どもの育つ環境条件を述べるという点で共通しています。

 私は、これらの理由、背景説明にそれぞれに納得できる部分があります。

 引きこもりに至る子どもの生育過程には、虐待、服従、いじめ、放置など、子どもに対する強い抑圧や禁止が、相当期間にわたって継続したり、繰り返されたりする例を見ることができます。そうなる背景には、上に述べたような、いくつかの理由があり、家族や学校、子どもの世界での精神的な圧迫、追い込まれ状態のはけ口が、「より弱い子ども」に向けられているためと説明できます。

 この「より弱い子ども」とは、その集団内における相対的な位置を表わします。したがって、家族のなかで父親や祖父母に対して比較的弱い立場の母親が、精神的な圧迫感情(ストレス)を、より弱い立場の子どもに向けることもあります。複数の子ども(きょうだい)がいる場合は、必ずしも末子が弱いというわけではなく、「よい子」でいようとする反発しないタイプの子ども(ときには長男や長女)に向けられることもあります。学校などの子ども世界では、おとなしい子、障害のある子、孤立しがちな子に向けられることもあります。

 これらは、ストレスが、強い者から弱い者に流れていく一般的な経路を示しています。同時に、その弱い立場の人の前で、保護者、教師や常識に富む人の、この経路を阻止する力が弱まっていることも示しているように思います。

 これらはおおよそ上に述べた要因の連鎖反応として説明することが可能でしょう。しかしそれにもかかわらず、それではうまく説明できない引きこもりに特有の、共通する理由があると思います。少なくとも引きこもり当事者たちに、ある期間接していれば、ごく普通に感じられる原因や背景が、この外側にあります。

(3)五感が敏感な人たち

 上述の子どもが育つ環境条件のほかに人が引きこもるもう一面の理由があります。引きこもりは、本人が持っている(天性の)要素と、後天的な要素が組み合わさってなります。上記では、後天的な要素を列挙しました。

 次に、子どものもつ先天的な要素の特色を述べましょう。ひとことで言えば、「ヒトの心の雰囲気が自然にわかってしまう繊細な感性の持ち主」ということです。先天的要素ではあるけれども、それがかつてのように生育過程で変容を遂げずに、ある年齢まで持ち越されるようになった、そういう社会状態が関係しています。

 30代の男性Aくんが、ある日「きょう地下鉄に乗っていたら銀行のにおいがして…」(気が重くなった)と言ってきました。「銀行のにおい? 病院のにおいならわかるけど、銀行のにおいってどんな?」と聞き返すと、「銀行でも感じるんだけれども、もう少し違う場でも感じる、ビジネスマンのにおいかな」という答えです。少しわかる気がしました。

 Aくんの引きこもりとしての程度は軽いかもしれませんが、人間関係をつくる点では、ある限定した人にしか関われません。彼の「におい」という点に注目して、日ごろの言動をふり返ると、ゴミや、食べ物などに神経質になっている姿が思い出されます。Aくんは、おそらく嗅覚が鋭い感性の持ち主なのです。

 20代になったHくんの話しをしましょう。Hくんのお母さんから「食べ物の注文は多いです。特に料理をするときは気を遣います」と聞いていました。Hくんに「食べ物の好き嫌いは?」ときくと、「味の強いのが苦手なんです。それで好き嫌いは多いと思います」という返事でした。

 Hくんに限らず、食べ物に好き嫌いがある(その中心は、嫌いで食べられない物がある)というのは、引きこもりの人に比較的多いと思います。いろいろな人から話しを聞いてみて、彼(彼女)たちは、味覚が敏感である、そのために食べられない物があるというのが私の得た結論です。

 もちろん、「違いがわかる」味覚の持ち主であっても、それで自動的に好き嫌いが多くなるわけではありません。味覚が優れ、味の違いがわかり、それでも何でも食べられる人もいると思えるからです。

 嗅覚と味覚について、その鋭さの表われを二人の例で示しました。

 次に、視覚(目)と聴覚(耳)についても述べておきましょう。この感覚が優れている例は、嗅覚や味覚のような形で把握することができません。それは視力がよい、聴力がよい、というのとは少し違うと思うからです。視力が低くても視覚が優れている、聴力が低くても聴覚が優れているという現象があるのです。

 私たちは、たとえば街中を歩いていると、いろいろな人がいて、いろいろな物があって、さまざまなものが見え、さまざまな音が耳に入ります。しかし「見て見えず、聞いて聞こえず」という対応が自然にできています。

 このことわざ的表現は、注意力の散漫さを示すのですが、この場合にも共通する言い方です。視覚や聴覚から入る情報を、必要なものだけを自動的に仕分けしながら取りいれています。目に入ってもまったく意識しなかったり、耳に入ってくるものに一つひとつ反応しないようになっています。

 そういうことが自然にできるから日常生活ができるのです。自然に、意識外で、自動的に取捨選択をしながら、目や耳から入る外部情報を取り入れているのです。この取捨選択をし外部情報を取り入れるという過程が、引きこもりの人には必ずしもうまくいかない人がいるのです。

 たとえば、TくんはYくんと話し込んでいます。そこにTくんの顔見知りであるBくんが来て、Nくんと話し始めます。そうするとTくんは、一方ではYくん話しながら、他方では隣に座っているBくんとNくんの話しが気になるし、実際にそこではおよそどんな話しが進行しているのかがわかってしまうのです。たんに言葉だけでなく、BくんとNくんの表情や動きなどもわかるし、それによって何が話されているのかを把握する、会話以外の情報源にもなっているのです。

 Tくんタイプの人は、このような場合だけでなく、一般に、目や耳から入ってくる外部情報を、自動的に取捨選択して取り入れることが苦手です。いやもしかしたら、場合によってはそれを苦手とは感じていないのかもしれません。しかしこの能力(?)は、日常生活の面で、さまざまな不都合を招いていることは確かです。

2012年4月28日土曜日


府省共通研究開発管理システムのことであり、助成金などによる研究開発管理に係る一連のプロセス(応募受付→審査→採択→採択課題管理→成果報告等)をオンライン化する府省横断的なシステムです。最近は助成金応募の条件に挙げられることが多くなってきました。

特に民間企業の方から「当社は研究機関どころか研究部門も無いので対象外では?」との質問を受けることがあります。

2012年4月27日金曜日


2012年4月26日木曜日


 「白物家電をネットに接続して付加価値を付ける」というと、「またか」と苦笑いを浮かべる人も多いだろう。

 「外出先から冷蔵庫の中身を確認できたら買い物の時に便利」とか「オーブン・レンジで、レシピをダウンロードできるようにしたら料理のバリエーションが膨らむのではないか」というようなアイディアは、インターネットが普及し始めた当初から議論されていたが、実際の製品として結実した例はあまりなく、商業的に成功した例はほぼ皆無だ。

 しかし、以前うまくいかなかったからといって、これからもダメだと決めつけるのは早計だ。

 初期のインターネット家電が成功しなかった理由の一つは、家電にネット接続機能を付加するコストが大きかったこと。

 例えば、シャープは1999年に「インターネットでレシピをダウンロードできるオーブン・レンジ」を発表し、注目を集めた。しかし、同製品は「パソコンを使って、専用メモリー装置にダウンロードしたレシピを有線ケーブルでレンジに転送する」という仕組みになっていた。つまり、レンジのそばに、ネットにつないだパソコンと別売りのメモリー装置を設置しなければならないのだ。まだ無線LANが普及していなかった時代に、インターネット回線をレンジのそばまでひっぱってくることは容易ではない。またダイヤルアップのインターネット接続であればダウンロードの度に通信料金がかかる。

 当時、そこまでしてレシピをダウンロードしたいと考えるユーザはほとんどいなかった。

2012年4月24日火曜日


この宇宙には、なぜ私たち人間のような理性的な存在者がいるのだろうか。人間は偶然この世に現れたのか、それとも現れるべくして現れたのか。人間が存在しない世界は可能だったのか。

1. 人間の存在は奇跡である

人間のような理性的存在者が、否それどころか原始的な単細胞生物であっても、宇宙に生まれてきたことは必然ではなかった。もしもビッグバン初期の膨張速度が実際よりほんの少し速ければ、重元素(水素やヘリウム以外の元素)や銀河が形成されず、低濃度の水素ガスが希薄になるだけの歴史しか展開しなかっただろう。逆にもし膨張速度が実際よりほんの少し遅ければ、宇宙は数分の一秒以内に崩壊しただろう。いずれの場合にも、生命の存在余地はない。生命を育む宇宙を初期の特異点が作る確率は10のマイナス1230乗と試算されている。

2012年4月23日月曜日


まだまだ暑い日が続きますね。

弊社の営業チームも、外出するときは汗ダラダラで帰還してきます(;´Д`A

水分補給は「喉がかわいた…」と思ってからでは遅いらしいです。

常に水分は取り続けてくださいね^^♪もちろんお腹をくださない程度に…

常に冷たいお茶を水筒に入れて、「水筒男子」もしくは「水筒女子」を目指してはいかが?ヽ(´□`。)ノ

さて、前回の記事 で「稼げるブログ」の条件を簡単に提示しました。

では、まずは何から始めましょうか??

ズバリ、ブログのコンテンツを充実させることです。

いくらあなたの人望で多くの人にブログを紹介しても

記事がほとんどなければ

「まだ全然できてないじゃん……。」

と静かにページを閉じられてしまうでしょう……。

2012年4月21日土曜日


中央教育審議会 教育振興基本計画特別部会(第8回)議事録・配付資料 [参考5] 第2編 第3節 フランス−文部科学省

1.教育基本計画の法的位置づけ、策定プロセス、計画期間

(1) 策定プロセス

 2005年にフランスの教育基本法およびこれに付随する基本計画を改定するにあたって、国民的議論が大々的に展開された。具体的には2003年9月に、「学校の未来に対する全国委員会」が設置された。2003年11月から2004年2月までに「学校の未来に対する国民討論」がフランス全国各地で15,000回にわたって開催され、さらに電子メールでの意見集約も行われた(注1)。この結果が2004年4月に『議論の鏡 Miroir du débat』という報告書にまとめられた。
 2004年10月よりフィヨン教育大臣が法案を準備し、2005年に閣僚評議会(le conseil des ministres)で提示し、議会に提出した。そして3月24日に、「学校の未来のための基本・計画法 Loi d'orientation pour l'avenir de l'école」(教育基本法)が制定された。教育相の名前から通称フィヨン法と呼ばれる。我が国の教育基本法と異なり、教育の原理原則に加え、教育の中長期的目標や学校教育制度に関する規定を含む法律である。過去には、「教育基本法」として、1975年(通称アビ法)と1989年(通称:ジョスパン法)が制定されている。

図表2-3-1 学校の未来に対する国民討論から法律制定までの流れ

  • (注1)藤井佐知子「『学校の未来に関する国民討論』を展開−フランスで教育基本法改正の動き始まる」 『内外教育』5456号、2004年2月20日

(2) 法的位置づけ

 本計画は、「学校の未来のための基本・計画法」の附属報告書(Rapport annexé)である。ただし、この附属報告書は、憲法院の審査によって手続き上の不備から違憲とされ最終的に削除されたが、政府は報告書に盛り込んだ方針や施策は実施に移す意向を表明している(注1)。報告書の表紙には、題名の下に「この報告書は学校の未来のための基本計画法の一部をなすものではもはやないが、正規の法的措置によって実施されるときの参考であることに変わりはない(注2)」とある。

図表2-3-2 「学校の未来のための基本計画法」の附属報告書(Rapport annexé)

  • (注1)藤井佐知子「共通基礎学力の確実な習得を目指して−フランスで新しい教育基本法制定」 『内外教育』5568号、2005年5月27日
  • (注2)Ce rapport annexé ne fait plus partie de la loi d'orientation et de programme pour l'avenir de l'École mais il reste la référence pour sa mise en application par voie réglementaire.

(3) 計画期間

 附属報告書末尾の数値目標は2010年を目標年度としている。
 その他、目標計画や予算などは2006年〜2008年、2006年〜2010年などとなっている。

2.教育基本計画の体系

(1) 計画の構成

. 基本方針 .Orientations

学校のための新たな希望 Une nouvelle ambition pour l'école

1.より公正な学校:信頼ある学校 1.Une école plus juste : l'école de la confiance
  • 1.1 幼稚園 L'école maternelle
  • 1.2 必要不可欠な共通基礎知識技能の習得 La maîtrise des connaissances et des compétences indispensables
  • 1.3 教育成功個別プログラム Le programme personnalisé de réussite éducative
  • 1.4 優等生奨学金 Les bourses au mérite
  • 1.5 教育優先地区(ZEP)と教育成功チーム L'éducation prioritaire et les équipes de réussite éducative
  • 1.6 進路指導 L'orientation
  • 1.7 社会編入への支援 Le soutien à l'insertion
  • 1.8 学校保健・社会福祉サービス La santé à l'école, le service social
  • 1.9 障害のある児童生徒の就学 La scolarisation des élèves handicapés
  • 1.10 男女平等の促進 La promotion de l'égalité entre les filles et les garçons
2.より効率的な学校:質の高い学校 2.Une école plus efficace : l'école de la qualité
  • 2.1 教育高等審議会 Le Haut conseil de l'éducation
  • 2.2 契約私立学校 L'enseignement privé sous contrat
  • 2.3 教員の使命 La mission des enseignants
  • 2.4 教員の採用・養成 Le recrutement et la formation initiale des enseignants
  • 2.5 教員の研修 La formation continue des enseignants
  • 2.6 学校の運営 Le fonctionnement des établissements
  • 2.7 学校における安全 La sécurité dans les établissements
  • 2.8 リセ(高校) Le lycée
  • 2.9 試験 Les examens
  • 2.10 情報通信技術(ICT) Les technologies de l'information et de la communication (TIC)
  • 2.11 生涯教育 La formation tout au long de la vie
3.より開かれた学校:国民の意見に注意を払う学校 3.Une école plus ouverte : l'école à l'écoute de la Nation
  • 3.1 父母との関係 Les relations avec les parents
  • 3.2 地方議会議員との連携 Le partenariat avec les élus
  • 3.3 非営利社団との連携 Le partenariat avec les associations
  • 3.4 経済界との関係 Les relations avec le monde économique
  • 3.5 ヨーロッパへの広がりと国際的な広がり La dimension européenne et internationale
  • 3.6 在外フランス人学校とのネットワーク Le réseau des établissements d'enseignement français à l'étranger
  • 3.7 芸術教育・文化活動 L'éducation artistique et l'action culturelle
  • 3.8 体育スポーツ教育 L'éducation physique et sportive
  • 3.9 メディア教育 L'éducation aux médias
  • 3.10 宗教に関する事実の教育 L'enseignement du fait religieux
  • 3.11 持続的発展のための環境教育 L'éducation à l'environnement pour un développement durable
  • 教育制度運営の新たな状況 Une nouvelle donne pour le pilotage du système éducatif

.目標 .Objectifs

  •  目標については小見出しがなく、7つの目標(後述)が記述されている。

(2)計画における就学前教育・初等教育・中等教育・高等教育・生涯学習の該当箇所

 上記の計画を、就学前教育・初等教育・中等教育・高等教育・生涯学習に割り当てると以下の項目が該当する。

図表2-3-3 各章と教育分野の対応

教育分野 計画の該当章
就学前教育 1.1 幼稚園
初等教育 1.2 必要不可欠な共通基礎知識技能の習得(小・中)、1.3 教育成功個別プログラム(小・中)
中等教育 1.2 必要不可欠な共通基礎知識技能の習得(小・中)、1.3 教育成功個別プログラム(小・中)、1.4 優等生奨学金(中・高)、1.6 進路指導(主に中学)、1.7 社会編入への支援(主に中学)、1.9 障害のある児童生徒の就学(中・高)、2.8 リセ(高校)、2.9 試験、2.10 情報通信技術(ICT) (中・高)
高等教育 (基本方針で、同一世代の50パーセントを高等教育修了に至らせることを目標に掲げているがそれ以外の項目では特になし)
生涯学習 2.11 生涯学習
  • (注)前述の通り、番号は筆者が便宜上つけたものである
  • (注)横断的な項目については省略した

3.教育基本計画における重点分野の有無

 計画を離れて、「学校の未来のための基本計画法」本体ではあるが、法律の条文のなかに、義務教育期間中に身につけるべき知識および能力が明記されている点が注目されており、計画にもその要素がちりばめられていると考えられる。同法9条は以下のように定めている。
 「義務教育は、各人が学校教育を首尾よく終え、引き続き教育を受け続け、個人的そして職業的将来を築き、社会生活での成功を収めるために必要不可欠な知識および能力の総体からなる共通の基礎を獲得するのに必要な諸手段を各人に保障しなくてはならない(注1)。」
 そして、習得すべき共通の基礎として以下の5点を挙げている。

  •  フランス語の習得(注2)
  •  数学の主要な基礎原理の習得
  •  市民権の自由な行使を可能にする人文的・科学的教養
  •  一つ以上の現代外国語の習得
  •  日常的に用いられる情報・通信技術の習得

 計画の中でも「1.2不可欠な能力や知識の習得(La maîtrise des connaissances et des compétences indispensables)」のなかで上記5項目が掲げられているほか、「.目標」の中では7つの数値目標のうち2項目が外国語の習得に関する数値目標である。
 また、計画に焦点をあててみると、特に重点分野という項目が示されているわけではない。とは言うものの、計画の冒頭の「基本方針」部分は注目に値する。
 この中で、新教育基本法は過去15年におけるフランス社会及び学校の進展に対応することを目指しているとしている(注3)。
 このなかで、国家が保証すべき目標として

  1. 生徒全員が学校教育の終了時点で何らかの公認資格(修了証Diplôme または公認職業資格 qualification (professionnelle)reconnueのいずれか)を獲得すること
  2. 同一年齢層(注4)の80パーセントがバカロレア(高校卒業資格試験兼大学入学資格試験)水準に到達すること
  3. 同一年齢層の50パーセントを高等教育修了に導くこと

 の3点を掲げており、学校教育をきちんと修了させることを重視していることが窺われる。

  • (注1)La scolarité obligatoire doit au moins garantir à chaque élève les moyens nécessaires à l'acquisition d'un socle commun constitué d'un ensemble de connaissances et de compétences qu'il est indispensable de maîtriser pour accomplir avec succès sa scolarité, poursuivre sa formation, construire son avenir personnel et professionnel et réussir sa vie en société.
  • (注2)
    • - la maîtrise de la langue francaise ;
    • - la maîtrise des principaux éléments de mathématiques ;
    • - une culture humaniste et scientifique permettant le libre exercice de la citoyenneté ;
    • - la pratique d'au moins une langue vivante étrangère ;
    • - la maîtrise des techniques usuelles de l'information et de la communication.
  • (注3)改正前の教育基本法(通称ジョスパン法、1989年成立)では、生徒の多様性に応じた教育を行ってすべての児童生徒を成功に導くという理念を掲げていた。そして2000年までにすべての者が職業資格を取得し、かつ同一年齢層の80パーセントがバカロレア(高校卒業資格試験件大学入学資格試験)水準に達するようにする、という具体的目標を定めていた。しかし、目標が達成されないばかりか、教育の状況はより深刻になっており格差も広がっている。これに対して、現行の教育システムと現代社会がミスマッチを起こしていることが問題であるという視点の下、社会変動に対して学校はどのように立ち向かうべきかという議論が、教育基本法改正に向けて行われた。
    • (参考)藤井佐知子「共通基礎学力の確実な習得を目指して−フランスで新しい教育基本法制定」『内外教育』5,568号、2005年5月27日
  • (注4)フランスは留年率が高く、例えば小学校5年生(Cours moyen 2e année)では、正規の年齢である10歳児は77.7パーセント、年齢超過児が20.2パーセントいる(1999〜2000年度)。中学校4年生(普通科、Quatrième générale)では正規の年齢である13歳児は64.4パーセントで年齢超過が29.0パーセントに上る(2002〜2003年度)。このため、高校卒業年齢もまちまちになるため、「同一年齢層」が統計的に重視される。
    • (資料)Ministère de la jeunesse, de l'éducation nationale, et de la recherche "Repères Références Statistiques 2003"

4.主要施策の内容

 計画の中の施策内容は以下の通りである。

2012年4月20日金曜日


開発途上国のHIV/AIDS対策への日本の取組み
-「沖縄感染症対策イニシアティブ」で積極的な貢献-

平成13年6月

 日本は、九州・沖縄サミットの機会に「沖縄感染症対策イニシアティブ」として、個別のHIV/AIDSをはじめとする感染症対策支援、公衆衛生の増進、研究ネットワークの構築、基礎教育、水供給等の分野での協力を強化することとし、今後5年間で30億ドルを目途とする協力を行う旨表明した。現在、この枠組みの下で、開発途上国のニーズに適切に対応しながら、この分野での協力に着実に取り組んでいる。これまで約7億ドルに及ぶ支援策を決定・実施に移している。また、日本主導でG8諸国・途上国・国際機関・NGOによる具体的感染症対策の協議を進めてきており、昨年12月には、これら全ての関係者の出席を得た感染症対策沖縄国際会議を日本が議長となって開催した。
 感染症の中でもとりわけ「人間の安全保障」に大きく係わり、また開発途上国の開発、貧困削減の中心的課題の一つとして認識されているHIV/AIDSの問題について、日本は、下記の通り、同イニシアティブの基本方針に沿って積極的な協力を展開している。日本としては、特に深刻な影響を受けているアフリカ、アジアなどの国々に対し、通常のODAスキームに加え、2001年度から新設された100億円(約8,000万ドル)の「感染症対策無償」を活用し、開発途上国のHIV/AIDS問題も含めた感染症対策への取組みを積極的に支援していく考えである。また、国連に設置した「人間の安全保障基金」を通じ、約1,000万ドルの感染症対策プロジェクトを実施し、現地のNGO活動支援のための取組みを強化していく。
 このような九州・沖縄サミットを契機とする流れの中で、5月、ブッシュ米国大統領が感染症対策のための保健基金構想支援をアナン国連事務総長及びオバサンジョ・ナイジェリア大統領の出席の下に打ち出し、2億ドルの当初資金を提供することとした旨発表したが、日本としては、こうした保健基金構想はHIV/AIDS、マラリア、結核等の主要感染症と闘うために大変重要と考えている。日本は米国をはじめ立場を同じくする国々との協調の下に、日本としての応分の協力を検討している。
 今後とも、こうした基金設立に向けた努力なども含め日本は具体的行動において引き続き感染症対策のリーダーシップを発揮していく。
1.市民社会、援助国及び国際機関との連携

<ナイジェリアに日米合同調査団、マラウィに日加合同調査団を派遣>

 世界第1位、第2位の援助国である日米は、これまで日米間のグローバルな枠組みの下で緊密な援助協調を進めてきた。特に、人口・保健分野においては、ザンビア(1998年12月)、バングラデシュ(2000年2月)、カンボジア(2000年6月)及びタンザニア(2001年1月)に日米合同プロジェクト形成調査団を派遣し、HIV/AIDS、結核をはじめとする感染症対策に取り組んでいる(囲み1)
 日米両国は、2001年度の次期派遣国としてナイジェリア及びネパールに合同調査団を派遣することに合意した。特に、270万人のHIV/AIDS感染者・患者数を抱え、緊急に対応が必要なナイジェリアへの調査団の派遣は、本年1月の森前総理のアフリカ訪問のフォローアップの一環として位置付けられるものである。
 また、カナダとの間でも、HIV成人感染率が約16%と高いマラウィに対して初めての日加合同プロジェクト形成調査団を派遣し、同国のHIV/AIDSをはじめとする感染症対策に共同で取り組むことに合意した。

囲み1:ザンビアにおけるハイリスクグループへのHIV/AIDS啓発活動支援
 ザンビアへの日米合同調査団の成果として、2000年3月より、ザンビアの国境地帯における日米合同によるHIV予防啓発のための支援活動を開始した。このプロジェクトは、長距離トラック運転手及び性産業従事者といった感染の危険性の高いハイリスクグループに焦点をあて、日本側が実施主体の現地NGO(ワールドビジョン・ザンビア)に資金協力を行うとともに、モニタリング・評価の専門家を派遣する一方、米側は米系NGOを通じプログラム全体の評価及び避妊具の普及を支援するものである。

<日本のNGOによる調査団の派遣・プロジェクトの実施>

 感染症対策を効果的に行うに当たっては、住民に直接行き亘る草の根レベルでのきめの細かい対応が重要であり、NGOの果たす役割が重要となっている。この観点から、日本は、日本のNGOによるプロジェクト形成調査団を派遣した。具体的には、「HANDS(Health and Development Service)」によるケニアのSTI/HIVに必須な医薬品・医療機材供給・管理システムに関する調査(2001年3月)、「ケア・ジャパン」によるベトナムの製造業及び建設業の労働者のHIV/AIDS及び性感染症対策に関する調査(2001年2月)をNGOの視点からそれぞれ実施し、7月には「ワールド・ビジョン・ジャパン」によるタンザニアのHIV/AIDS予防対策に関する調査を行う予定。今後、これらの調査を踏まえ、具体的なプロジェクト/プログラムを形成していく考えである。「ワールド・ビジョン・ジャパン」は、別途「小規模開発パートナー事業(注)」を通じ、タンザニアのンゲレンゲレ郡におけるHIV/AIDS対策のためのキャパシティ・ビルディング事業を実施する予定である。また、2000年度NGO事業補助金として、「アドラ・ジャパン」、「国際保健協力市民の会(SHARE)」及び「AMDA」が保健衛生事業や地域総合振興事業の活動の中でHIV/AIDS予防教育活動などを行い、政府として総額約16万3,000ドルの補助金の交付を行った。

(注)社会開発等の分野で協力のノウハウを持つ我が国NGO、地方公共団体、大学等をODA事業のパートナーとして位置付け、実施部分を委託する国際協力事業団(JICA)の事業。

2012年4月18日水曜日


4、ハワイでの個人セッション(第2回)

 

 1日目(2003年7月11日)
 

(7)私のブループリントは何か?

 

キ:ウ〜ン、なんとなく解るのですが、、、。でも具体的に「この私のブループリントは何か?」と問いかけると、さっぱり解りません。

 

 

フ:順を追って答えよう。

まず、カルマとブループリントの違いは解ったかな?

それからあなた個人の事について話そう。それは違った主題だからね。

真実という観点から、カルマとブループリントの違いは理解したかな?

 

 

キ:ええと、、、。ブループリントは、現象世界に現れる以前にあらかじめデザインされているものなのですね。

 

 

フ:そう、宇宙が既にデザインしている。

それこそが、あなたの究極の可能性だ。

 

 

キ:一方カルマの方は、現象世界つまりこの地上に降りて来てから、原因と結果によって生じるものですね。

 

 

フ:そう、あなたの選択によって生まれる。あなたの自由意志がそのベースとなる。

あなたは自由意志を持っているだろう?

あなたはたった今、選択出来る。

 

 

キ:ええ。

 

 

フ:その事がカルマを創る。そして、恩寵や悟りがやって来る高次の源泉だけが、あなたのカルマとブループリントとを整合させる。

そうでないと、あなたは自分のブループリントつまりスピリチュアルな究極の可能性を追求しながら、間違った道を歩み続けるという事もあり得る。

 

 

キ:本当でしょうか?

 

 

フ:例えばヨガビジャに対して、「あなたは集中しなければならない!」

「いつでも瞑想をしなさい!」と言っても、それは彼女の道ではない。彼女のブループリントに整合しない。

ガイダンスのみが、それを見極める事が出来る。

他の誰もそれを見極める事は出来ない。

 

 

一般的な瞑想や自己探求をしてスピリチュアルな道を歩んでも、より意識的な人間にはなるかも知れないが、それだけではゴールには到達しない。

自分の道は何か、自分のブループリントは何か、自分の天命は何かを、よく見極める必要がある。

そうして自分のカルマが何をしているのかも、しっかりと見なければない。

自分のカルマがこちらへ連れて行こうとし、自分のブループリントがあちらだったら、どうだろう?

 

 

もしあなたが私と出逢わなかったら、「キヨタカ、10日間の禅リトリートをしなさい!」「21日間の禅リトリートをしなさい!」「集中!集中!」「坐禅!坐禅!」といった、修行の教えにだけ従っていただろう。

しかしそれでは、あなたがシフトする事はあり得なかった。

それでは不可能なのだ。

 

 

あなたの潜在的可能性を見て、つまりあなたのブループリントを見て、「ただ穏やかで在りなさい」とあなたに語りかけ、あなたのブループリントに触れてそれを開きカルマと整合させる事で、突然あなたはシフトを体験した。

2012年4月17日火曜日


行動の集り

チーム役割

強さ-貢献

正当な弱さ

行為方向づけられた役割

形削り盤

挑戦する動力論を持って来たり圧力で繁栄する。 障害を克服するドライブおよび勇気。

形削り盤は富む達成するべき高い刺激がある神経質なエネルギーで勝利がゲームの名前の、仕事集中されたリーダーである。 形削り盤は端および意志「形」を達成することにチームの目標の達成に他努力している。

挑発に傾向がある。 人々の感じをおこらせる。

彼または彼女はそして表示する目的の達成の追求の侵略を挑戦しか、論争しか、または意義を唱え。 グループの2つか3つの形削り盤は対立するために悪化およびin-fighting導くことができる。

2012年4月15日日曜日


発達障害、ADHD、自閉症スペクトラム、アスペルガーなどと色々な言葉が出てきて混乱します

Kaienでは次のように考えています。
「発達障害」についてはこちらへ

Kaienには何人の方が登録されていますか?

450人以上の発達障害の方が登録しています。

どのような経歴の方が多いのですか?

高校や大学、大学院を卒業し、事務職や技術職として一般雇用の経験が有りながら、20~30代で自ら発達障害であることに気づき診断を受けた方が中心です。

2012年4月14日土曜日


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2012年4月12日木曜日


はじめまして、高田です。
よろしくお願いします。

給与アップのために転職すべきかどうかお悩みのようですね。
40歳だから転職ができない、ということはありません。
また、40歳だから転職しても給与アップが望めない、ということもありません。

2012年4月11日水曜日


昨日、「100人の偉人 天才編~ニッポン人が好きな100人の天才~」という番組が放映されていましたが、ふと疑問に思うことがありました。

天才の定義とは何でしょう? 実際、天才と神は定義しようがありませんが、敢えて定義するならウェキペディアの天才の説明が的を射ていると思います(※宮城音弥の『天才』 を読んだからなのですが)。

秀才と天才の相違について:

2012年4月9日月曜日


今一歩先へと進むために必要な、魂の青写真のパーツを再読み込み

私たちはだれでも、魂の青写真を創ってからこの地上に生まれてきています。けれども、私たちは日常の生活の中では用意した青写真のうちほんの数パーセントしか活性化していません。

このセッションでは、今のあなたが、次のステップへ進むため、今必要な青写真の再読み込みを促します。これにより、次のステップへ進むための気づきが加速され、現実の行動に自ら変化をもたらすことがサポートされます。

2012年4月8日日曜日


 自分が欠陥住宅の被害者になってしまった。
 交渉したがラチがあかない。後は裁判しかない・・といった時に始めて弁護士を探さなければと思うのですが、これがなかなか大変です。

 最初に少し私が関わったケースをご紹介しましょう。

    
 私も「欠陥住宅」の被害者を支援する立場で、すでに10件以上の訴訟案件の裁判や調停に関わり、それ以外でもご相談を受けてきましたが、その中でいろいろなケースを見てきました。そして、そういったケースの中で弁護士がかえって被害救済の足を引っ張っている裁判や調停に出くわしたことがあります。私が関与あるいは相談を受けた案件のいくつかはそういった状態だったのです。さて、どんな状態だったのでしょうか。共通するのは独りよがりの弁護士。さてどんな話でしょう。

・瑕疵を一杯並べさせる弁護士
 今でも多い弁護士のタイプなのですが、設計や工事の違法性ではなく、「ドアが開きにくい」「傷や汚れがひどい」「欠けている」「こうすべきだ� ��といったいわば客観的な判断基準が無い問題に重きを置き、そういった問題を、出来るだけ多く羅列しましょう。と言ってくる弁護士がいます。
 依頼者にとっては、一杯問題点を並び立てた方が裁判としては効果的だし、私の気になっている部分を全て取り上げてくれる良い弁護士さんと思いがちですが、実はこれ、大きな間違いなのです。
 裁判というものは裁判官にジャッジしてもらうのが裁判です。(調停でも基本は同じです)つまり、裁判官がジャッジしやすい主張をすることが大事なのです。そのため、「瑕疵」でも違法性の明確な部分を追求していった方がはるかに裁判官にもわかりやすく、相手からの反論も防げるのですが、客観的基準のない「瑕疵」を並べても争点が多くなるだけで、たとえば� �汚れや傷」といった問題もどこまでの「汚れや傷」を直すべき範囲なのか・・なんて判断は人それぞれで明確ではありません。その結果、裁判の進行は遅くなり、基準が曖昧なので裁判官も判断しにくく、いくらでも反論を許すことになり、延々数年がかりの裁判という馬鹿げた裁判をしてしまうことになります。
 注:こういったケースでは、ほとんどが建築士を利用せず、弁護士だけで裁判や調停を薦めている例が多いように感じます。(注:建築士自体がこのタイプの建築士もいます)

2012年4月7日土曜日


【運転の無意識化と意識化】

クルマの運転を行なうとき、まず一番最初の覚える段階(教習の段階)では、大部分の運転操作が意識して行われています。

意識してする動作はぎこちなくなるのが当然です。

それが、運転の回数を重ねていくうちに意識せずとも操作ができるようになるわけです。

意識せずともできる操作というものはスムーズな動作です。

この、<意識>→<無意識>の昇華は、運転に限らず人間の行動ならほとんどのものにあてはまるのです。

たとえば、朝起きて歯磨きをすること。

たまに念入りに磨こうと思って意識して行なうときもありますが、ほとんどの場合、歯磨き中は他のことを考えながら、もしくは何も考えずボーっと行なっているはずです。

たとえば、お箸を使ってものをたべること。

日本人なら当たり前に使うお箸でも、その文化のない外国人の人からすれば、お箸を使ってものを食べることは難しいし、それにトライするとなれば、相当意識してお箸を扱わざるを得ません(料理を味わう意識が半減するぐらい)。

日本人の我々だって、もう記憶には残ってないかもしれませんが、小さい頃スプーンやフォークから、初めてお箸を使うようになった時期は、うまく扱えなかったはずです。

しかし成長するなかで、誰もが意識せずにお箸を扱えるようになっていきます。

大人ともなれば、食事中、普通はそこで出された料理やそのときの会話に意識が向いています。

ということで極論になるかもしれませんが、「クルマを運転すること」=「お箸を使ってものを食べること」と言いたいのです。

つまり、「誰でもできるようになること」です。

すぐにできるようになるか、時間がかかるかは、人それぞれですが、いずれできるようになります。

日常生活で何とかクルマを乗れるぐらいのレベルならば。

 

 

そこで気をつけなければならないのは、とにかく無意識化すればいい、ということではないことです。
無意識化の恐いところは、悪い行動でも(悪い行動のほうが)無意識化していくことです。

目指すのは、良い行動が無意識化して習慣化されることです。

しかし、悲しいことに人は悪い行動も無意識化されているはずです。

その悪い行動の無意識化(習慣)は、自分で気がつくのは至難の業で、第三者からの指摘を受けたり自分の行動をビデオに撮るなどして客観的に見たりすることをしないとなかなか気がつくことができません。

これは、なかなか苦しいものがあります。

例えそれが悪い行動だとしても、一度身についた無意識の行動はスムーズな動作であるはずで、それをわざわざ意識して一旦壊す(一時的にスムーズでなくなる)ことはツライですよね。

スムーズにできているんだから問題ナイネ!� �と思いたいですよね。

しかしそこが分かれ道で、運転操作を向上させようと思うならば、常日頃から自分自身の運転行動を意識化し改善していこうという気持ちが大事です。

効果的なのは、同乗者からの指摘や意見、ときには苦言を聞くことなのですが、他人からの指摘や意見を素直に聞くのは難しいですね。

特に運転に関しては。

他人からの意見を素直に聞いて、なおかつそれを取り入れられる人は、運転技能だけでなく人間的にも尊敬するに値する人になるはずです。

それぐらい、難しいことですが、少しでも実践してみましょう。
  




 【運転と自信】

クルマを運転するのにあたって、'自信'は必要かどうか。

教本にも書いてあるのですが、ある会社のデータで、よく事故を起こすドライバーは、自分のことを「運転が上手い」と思っているのに対し、事故を起こさないドライバーは、自分のことを「運転がうまくない」と思っているそうです。

このデータで分かることは、自分のことを「運転がうまい」と過信することで事故を引き寄せるし、自分は「運転がうまくない」と気を引き締めて運転すれば事故にならないということです。

安全運転にとって大事なのは、テクニックよりメンタルの部分です。

若い人は自分の技量を過信しやすいと言われていますが、若くない人もクルマの運転に関しては、自分の技量を過信しやすいので� ��ないかと思います。

2012年4月5日木曜日


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2012年4月4日水曜日


第1回
1927─28
つばさ

アカデミー作品賞受賞した唯一のサイレント(無声)映画である。翌年の「ブロードウェイ・メロディ」からトーキーになった。元パイロットであり、ジョン・ウエイン主演「紅の翼」等、数々の名作航空映画を撮ったウイリアム・A・ウエルマン監督作品で、空中撮影が見事な効果を上げている。
 また、この年監督賞を受賞した「第七天国」は七層構造のアパートのセットが素晴らしく、主人公を追ってカメラが一階から天井裏へと滑らかにパン(移動撮影)していく場面が印象的だった。芸術的優秀作品賞を受賞した「サンライズ」も白黒撮影が素晴らしい映画で、この頃サイレント映画が豊饒の時を迎えていた事が窺い知れる。

第2回
1928-29
ブロードウェイ・メロディ

 最初期のミュージカル映画。足が太いイモねーちゃん達が、稚拙なダンスを披露しているのはご愛敬。なかなかほのぼの愉しめる。姉妹愛が美しい。吃音の叔父さんのキャラクターが面白くて気に入った。
 しかし、第1回 のオスカーを競ったサイレント映画「つばさ」や「第七天国」「サンライズ」等に比べると、さすがにトーキー黎明期の作品だけに芸術的に質が落ちていることは否めない。

第3回
1929-30
西部戦線異状なし

 反戦映画の原点。今観ると新鮮味はないが、最後の有名な蝶々の場面は確かに詩的で、訴える力を持っている。その後量産された「商業的」反戦映画はリアリズムという点に置いて、アカデミー監督賞を受賞した「プライベート・ライアン」で行き着くところまで到達してしまった感がある(これは褒め言葉ではない…念のため)。これから戦争映画はどのような地平を目指すのだろう?

第4回
1930-31
シマロン

 州に昇格する前のオクラホマを舞台に展開される破天荒な男の一代記。初期の西部劇と� �っても差し支えなかろう。お話は荒っぽいが、冒頭の土地の奪い合いはド迫力で、一見の価値あり。ロン・ハワード監督の「遙かなる大地へ」でこの場面が再現されている。

第5回
1931-32
グランド・ホテル

 「大空港」「タワーリング・インフェルノ」等パニック映画でお馴染みの「グランド・ホテル形式」の始まり。一つの場所に集まった様々な人間模様の妙。伝説の名優達、夢の饗宴。後にミュージカル化され宝塚でも上演された。ミュージカル版は未見。再演熱望!

第6回
1932-33
カヴァルケード(大帝国行進曲)

 ある一家の物語を軸に20世紀初頭の時代の変遷を描く大河ドラマ。タイタニック号も出てきます。確かに立派な作品ではあるのだろうが、僕は些か古めかしく感じた。

第7回
1934 < br/>或る夜の出来事

 クラーク・ゲーブルによる、ヒッチハイク講座の可笑しさ!これぞソフィスティケイテッド(洗練された)・コメディ。「卒業」のラストシーンはこの映画へのオマージュである。

第8回
1935
南海征服(戦艦バウンティ号の叛乱)

 これはカット割りが細かく演出もシャープ。男達の戦いが熱い、見応えのある海洋映画であった。クラーク・ゲーブルも若くてカッコイイが憎々しい悪役、チャールズ・ロートンがなんといっても名演。「情婦」のあの老弁護士と、同じ役者には見えないなあ。

第9回
1936
巨星ジーグフェルド

 ブロードウェイ伝説のプロデューサー、ジーグフェルド描くアカデミー作品賞受賞作。長尺で物語はいささか退屈だが、ショー場面のセットの豪華さには度 肝を抜かれる。特にあの、「人間ウエディング・ケーキ」みたいな巨大な螺旋階段のセット!!
 また映画「ファニー・ガール」の主人公、ファニー・ブライス本人が'herself'として登場する。

第10回
1937
ゾラの生涯

 エミール・ゾラの生涯なんて、想像しただけで面白くなさそうなので長らく敬遠していたのだが、観てみると、有名な「ドレフュス事件」を核としてなかなか劇的展開で、予想外に感動し驚いた。これはいわゆる「法廷もの」の原点と云えよう。真実を追究することの尊さが高らかに宣言された映画である。如何にもアメリカ映画らしいスピリッツに満ちた名作。

第11回
1938
我が家の楽園

 元はブロードウェイの戯曲だそうである。「ある夜の出来事」のフランク・キャプラ監督の社会� ��刺喜劇。ここに登場するある一家の面々がとにかく風変わりで面白い。これは人間賛歌である。ただ本作や、アメリカン・デモクラシーの教科書みたいな「スミス都に往く」の様な作品群よりも、キャプラ映画なら僕は「素晴らしき哉、人生!」の方が個人的に偏愛しているのである。

第12回
1939
風と共に去りぬ

 文字通りハリウッド映画の金字塔。中学生で初めて本作を観て、映画の魅力に取り憑かれた。もうこの映画については他の欄で語り尽くしたので、これ位で良いだろう。
 また39年はワイラー版「嵐が丘」や「オズの魔法使い」、「ニノチカ」、「駅馬車」、「邂逅」、「スミス都へ行く」「チップス先生、さようなら」等、沢山の傑作を産み落とし、20世紀で最も豊穣な年として永遠に記憶されるであろ う。

第13回
1940
レベッカ

 イギリスの映画作家アルフレッド・ヒッチコック、渡米後の記念すべき第一作である。ヒッチコックらしからぬゴシック・ロマンで彼特有のユーモアに欠け、今やこれをヒッチコックの代表作と推す人はいないだろう。それでも水準以上の出来になっているのはさすがで、映画的瞬間(magic)に満ちた作品ではあると想う。個人的にヒッチには、「めまい」で作品賞を「サイコ」で監督賞をあげたかったなあ。

第14回
1941
わが谷は緑なりき

 巨匠ジョン・フォードが故郷アイルランドを想い、描く家族の物語。フォード・ファミリー(血縁という意味ではない)もこぞって出演。力強く、何だかとっても温かい、そういう映画である。
 大林宣彦監督はジョン・フォードを「マザ ー・コンプレックスの作家」でハワード・ホークスを「シスター・コンプレックスの作家」と定義した。成る程フォードの描く女達は、母なる大地のように堂々と腰を落ち着けた存在である。
 この年、20世紀の最高傑作ともいわれる「市民ケーン」が公開されたが、映画のモデルになった新聞王ハーストの妨害でオスカーは脚本賞以外受賞できなかった。

第15回
1942
ミニヴァー夫人

 アメリカが参戦した時期の作品であり、銃後を守る良妻賢母のお話であるから云ってしまえば国策映画である。名匠ウイリアム・ワイラー監督作品ではあるが現在、この映画に些かの価値があるのかどうかは大いに疑問である。

第16回
1943
カサブランカ

 職人監督マイケル・カーティスが奇跡の脚本を得て創った、大傑作。なんたってボギーことハンフリー・ボガートの台詞がキザで格好よくって、痺れる。男なら一度はボギーに憧れるものさ。脚本は映画と同時進行で作業が進められ、最後までバーグマンは結末がどうなるのか知らなかったそうである。傑作はどんな形で生まれるのか分からない。主題歌As Time Goes Byも泣かせるねえ。
 カーティスの監督作品なら、他にエロール・フリン主演の大冒険海賊映画「シ−・ホーク」が抜群に面白い。

第17回
1944
我が道を往く

 Going My Wayですな。ビング・クロスビーが「唄う神父」を演じるヒューマン・ドラマ。アカデミー主題歌賞も受賞。物語は些か弛緩していて、ひねくれ者の僕にとってはこの映画で描かれる「善意」がどうも嘘臭くてノレなかった。
 後にイングリット・バーグマンをゲストに迎えて続編「聖(セント)メリーの鐘」が作られた。

第18回
1945
失われた週末

2012年4月2日月曜日


芸術・道徳・そして道徳水準

 

ジョン・ガードナーの道徳水準の高いフィクションについての視点

 

 

BYUの演劇専攻の大学生だった頃、友人達と芸術"art"について、いわゆる"深く意味のある"会話を延々としたものです。あっ、失礼、こう言った会話の中では、芸術はいつも小文字で始まる"art"ではなくて、大文字で始まる"Art"で扱ってきました。 (英語では特別に大切な名詞は、小文字ではなくて、大文字ではじめて、格差をつけるのでこの様に言っています。) 私たちはモルモン芸術とは何か、それは(存在する)可能性があるか、良い芸術と悪い芸術の違いは何か、つまり、芸術家の観衆に対する責任は何か、そして、芸術評論家、観衆、そして芸術家自身の責任は何か等について思案しました。結局これだという結論に到達する事なく、ジョン・ガードナーの「道徳的フィクション」 (1978年 ニューヨーク発ベーシックブック出版) "Moral Fiction" (New York: Basic Books, 1978) を読むまでは、それについては、その時たどり着いた不決断状態でいました。

 

ガードナーが全ての答えを持っているという訳ではありません。しかし、彼は常に私がその本を誰かに呼んで聞かせたいという思いに駆られる程、十分な答えを持っています。私は、本の価値をなくする事を禁止する自分自身の信条を無視し、この本におびただしく下線を引き、付箋を貼り、星印をつけました。つまり、この本によって、私は元気づけられ、動機づけられ、そして、励まされたのです。

 

どうしてかって?だってあなた、私は、なんと言っても、サイエンスフィクションを書いているのです。しかし、執筆は執筆でしかありませんが、ガードナーが指摘する様に、芸術によって、教える事を免れる事は不可能です。あなたが教えようと意図するかしないかに関わらず、観衆はあなたの作品から教訓を学びますので、どんな教訓を含むか、そして、その芸術を良いものにするか否かは、芸術家と評論家の責務なのです。

 

本物の芸術が教訓的という訳ではありません。教訓主義と本物の芸術は混和しません。つまり、どういう場合であっても、教訓主義が道徳水準の高い物だとは決まっていないのです。ガードナーは「輪が闘争」について考えてみてくださいと言っています。「本物の芸術は『根本的に』道徳水準の高い物である」(p19 原本からの引用は『』内に記載)

 

しかし、どのようにして、道徳水準を定義すれば良いのでしょうか。これはモルモン教徒にとっては難問だと思います。ガードナーはモルモン教徒に向かってこれを書いた訳ではありません。彼は道徳自体が観念として価値を失ってしまっている文学評論家、小説家、学生そして、教師陣に向かって書いているのです。代わりに、間違った関連観念から、一般文学社会は芸術と善悪の関係を否定しています。

 

「評論家や彼らのコメントに耳を立てる類の芸術家達が使う言葉は、大変奇妙になって来ている」とガードナーは言っています。「感情や知的な確信について語る訳でなく、感動的で、驚きに満ちたひねりや筋書き、又は、すばらしい登場人物やアイデアについて語る訳でもなく、しかし、『独自性』、『発見的』、『構造主義』、『形式主義』、または、『不透明な言葉』、そして、例えば、現代主義とポスト現代主義等、知的な牛でさえも頭をひねりたくなる様な、細かい区別でいっぱいです。評論は以前よりも遥かに読みにくくなっているものの、内容は、誠にとるに足りないものになって来ています。」(p4)