2012年3月18日日曜日

叙述トリック概論

 前項の[図4]には、送り手による情報の欠落と受け手による情報の補完に基づく叙述トリックの機構を示しましたが、これに対して次のような例はどうでしょうか。

[図5:虚偽を含む例]
事象A叙述B誤認B
情報
a1,a2,...,an
――→
↓ ↑
a1 b1
情報
b1,a2,...,an
――→
 
 
情報
b1,a2,...,an

 [図5]の例では、送り手が事象Aを決定づける情報a1を欠落させるとともに、事象Bを決定づける(事象Aと矛盾する)情報b1を追加して伝達し、受け手はそれをそのまま認識して騙されることになります。これは要するに、叙述に虚偽(嘘)が含まれている場合です。

 虚偽の情報を含む叙述によって騙すことは、叙述トリックには該当しない(*1)とする考え方もありますが、やはり叙述によって受け手を騙す手法には違いないのですから、これも叙述トリックの一種として扱うのが妥当でしょう。ただし、問題を生じやすいトリックであることは間違いありません。それは、騙し方として安易な手法だということもありますが、それ以上に作品がアンフェアなものになってしまう場合がほとんどだからです。

 しかしながら、虚偽の情報を含む叙述トリック(以下、「虚偽叙述トリック」という)を使用したミステリの中にも、アンフェアとはいい難い作品が存在します。そこで、本項では主に「虚偽叙述トリック」とフェアプレイについて検討してみます。

*****

 ミステリにおけるフェアプレイとは、"作者が提示した謎を読者が解くことができるか否か"という作者と読者の勝負が、公正なものであることを指すと考えられます。このフェアプレイという概念の扱いについては、人により様々な考え方があると思われますが、いずれにせよ、それがミステリにおいて重要な要素の一つであることは確かでしょう。

 そして、一般的には以下の2点が、ミステリにおけるフェアプレイの原則とされています。


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 さて、「虚偽叙述トリック」を使ったミステリは一見したところ、「原則1」に反しているためにアンフェアとなってしまうようにも思われます。しかし私見では、「虚偽叙述トリック」を使ったミステリが直ちにアンフェアであるとはいえません。なぜなら、「原則1」は必ずしもフェアプレイの原則として適切ではないと考えられるからです。

*****

 ミステリにおけるフェアプレイとは前述のように、作者と読者の勝負が公正であることだと考えられます。裏を返せば、作者と読者の勝負が公正でない場合を指してアンフェアと称することになります。しかしミステリの場合、何をもって公正な勝負(または不公正な勝負)とするかは、個々の読者の判断に委ねられる部分が大きく、また時代によっても変遷するなど、必ずしも明確ではありません。それは、例えば「ノックスの十戒」や「ヴァン・ダインの二十則」の現代における扱いなどからも明らかではないでしょうか(*2)

 ただし、一方にまったく勝ち目がないような勝負が、公正な勝負といえないのは確かでしょう。したがって、少なくとも読者の側に(*3)まったく勝ち目がない、すなわち読者が絶対に謎を解くことができない状況は間違いなくアンフェアであり、逆にフェアプレイとは読者が謎を解くことができる可能性を保証することを意味すると考えられます。

 この点を念頭に置いてみると、極楽橋水軒さんが"「地の文で嘘を書いてはならない」を弱いルール、「解決に必要なデータが予めすべて読者に提示されていなければならない」を強いルールと呼ぶ"ことを提案している(*4)ように、「原則1」と「原則2」の効果が異なっていることは明らかです。すなわち、解決のための手がかりの提示を求める「原則2」が、読者が謎を解決できることを積極的に保証するのに対して、"地の文の嘘"を禁じる「原則1」は、アンフェアな状態を生じやすい要素を排除することで読者が謎を解決できることを消極的に保証する性格のものといえるでしょう。


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 しかしながら、"地の文の嘘"がどのようなものであっても必ずアンフェアな状態を生じるとは限りません(*5)し、逆に"地の文"でなければアンフェアにならないというわけでもないでしょう(*6)。問題となるのは、それを信用する限り絶対に謎を解くことができなくなるような"嘘"、すなわち"作者の用意した真相と矛盾する情報"であり、しかもそれが読者に(作中における)絶対的な"事実"として受け取られてしまう場合です。つまり、"真相と矛盾する情報"という内容そのものと、"事実として"(あるいは"事実であるかのような形で")という読者への提示とが相まって、アンフェアな状態を生じることになるのではないでしょうか。

 この"読者への提示"の部分をもう少し考えてみると、真相と矛盾する情報が読者に絶対的な事実として受け取られることが問題であるのならば、さらにそれと矛盾する情報を配置して信憑性を低下させることで、ある程度は問題を解消できるようにも思えます。そこで、このあたりを考慮して、「原則1」を次のように改変してみます。

 "真相と矛盾する情報"と"矛盾する他の情報"とは、"真相と矛盾する情報"が事実でないことを直接的に示唆するか、あるいは隠された真相を示唆することにより"真相と矛盾する情報"が事実でないことを間接的に示唆するようなものであるでしょう。これは要するに、"真相と矛盾する情報"を否定する手がかり(または伏線)を求めるもので、それによって謎解きを阻止する致命的な障害は排除され得ると考えられます(*7)

*****

 さて、ここで話を「虚偽叙述トリック」に戻しますが、「原則1」に代えて「原則1・改」を採用すれば、「虚偽叙述トリック」を使用したミステリがアンフェアとならない条件がある程度明確になります。すなわち、「虚偽叙述トリック」が虚偽の情報であることを示す手がかり(伏線)、もしくは「虚偽叙述トリック」によって隠された真相を示す手がかり(伏線)のいずれかを作中に配置することにより、「虚偽叙述トリック」という謎解きの障害は致命的なものではなくなるでしょう。


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 このような手がかりや伏線の配置は「叙述トリックとは」の[5]で述べた"トリックの隠密性"に反するもので、叙述トリックとしては異例のリスキーな手法です。が、虚偽の記述というきわめて強力なミスディレクションを使用するのですから、それもやむを得ないところでしょう。あるいは逆に、(少なくともフェアプレイを意識する限り)そこまで強力なミスディレクションによってしか真相を隠しきれない、きわめて脆弱なトリックということなのかもしれません。

 そして、[図4]に示したような典型的な叙述トリックを使ったミステリでは、真相と矛盾する情報を提示することなく読者を誤認させることが主眼となるのに対し、[図5]のような「虚偽叙述トリック」を使ったミステリでは真相と矛盾する情報をいかに否定するかに重点が置かれることになります。前者ではいわば"嘘をつかずにいかに騙すか"という誤認の過程が重視され、後者では"ついた嘘をいかに暴くか"という解明の過程が重視されるというように、両者はその方向性が大きく異なっているといえます。

 また、「虚偽叙述トリック」を使ったミステリでは解明の過程が重視されるとすれば、「叙述トリックとは」の[3]で最後に述べたように、解明の過程を作中に盛り込むために原則としてメタフィクション形式を採用することになるでしょう。つまり、作中作などに仕掛けられた「虚偽叙述トリック」を、メタレベルから解明する形式です。

*****

 最後に、「虚偽叙述トリック」を使った、アンフェアでない(と思われる)ミステリの具体例を二つ挙げておきます。

・『作品A』の場合
 まず『作品A』では、ある登場人物が聴き手に対して語る物語の中に「虚偽叙述トリック」が仕掛けられているのに対し、語りの外部(メタレベル)に配置され、作者によって保証された信頼できる手がかりによって虚偽が暴かれる構造となっています(下の[図6]参照)。
[図6:『作品A』の手法]
作者――『作品A』
語り手――語り

  虚偽  


―→聴き手
手がかり
―→読者

 これは実のところ、登場人物の偽証を他の手がかりによって否定する手順と何ら変わるところはなく、十分にフェアだといえるでしょう。
・『作品B』の場合
 次に『作品B』では、作中作に「虚偽叙述トリック」が仕掛けられるとともに、虚偽を暴くための手がかりも配置されています。つまり、解明自体はメタレベルから行われるものの、手がかりとなるのはあくまでも作中作の記述です(下の[図7]参照)。
[図7:『作品B』の手法]
作者――『作品B』
書き手――作中作

  虚偽  

  手がかり  

―→読み手
―→読者

 虚偽の記述と手がかりが同じレベルに配置されている(*8)点で、『作品A』の場合と違ってやや微妙にも思えますが、虚偽の記述がごくわずかな箇所にとどまるのに対して手がかりは多数に上り、真相は妥当だといえます。

*1: 例えば「はてな - 叙述トリックとは」には、"基本的な叙述トリックでは、あくまでも心理的な誘導を行うことがメインであり、意図的に偽の情報を与えるといった行為はこれに該当しない。あくまでも与える情報は「事実」のみである事が重要である。"と記されています。

*2: このあたりのことを考えていると、「いわゆる"ミステリのルール"は普遍的なルールではなく、ミステリとしての面白さの判断基準と、(ある程度の)面白さを担保するための暗黙の了解にすぎない」という結論に達してしまったのですが……。

*3: ミステリの場合には、作者の側にまったく勝ち目がない状況、すなわちすべての読者が必ず謎を解くことができるという状況は実質的にあり得ないと思われるので、考慮の対象外としました。

*4: 小田牧央さん「*the long fish*」内の「犯人当て小説のためのフェア・プレイ変換の提案について:補足資料」を参照。

*5: 例えば、謎解きと無関係な"嘘"が地の文に書かれている場合。


*6: 例えば、会話文だけで構成された作品において"嘘"が書かれている場合。

*7: もっとも、どの程度否定すれば十分なのかという点については、検討の余地があるかと思いますが。

*8: 厳密にはそれぞれ違う場所に配置されているともいえる[もう少し詳しい説明を表示]ので、その点も考慮すべきなのかもしれません。

(2006.05.15)



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