アカデミー作品賞の全て
第1回
1927─28
つばさ
アカデミー作品賞受賞した唯一のサイレント(無声)映画である。翌年の「ブロードウェイ・メロディ」からトーキーになった。元パイロットであり、ジョン・ウエイン主演「紅の翼」等、数々の名作航空映画を撮ったウイリアム・A・ウエルマン監督作品で、空中撮影が見事な効果を上げている。
また、この年監督賞を受賞した「第七天国」は七層構造のアパートのセットが素晴らしく、主人公を追ってカメラが一階から天井裏へと滑らかにパン(移動撮影)していく場面が印象的だった。芸術的優秀作品賞を受賞した「サンライズ」も白黒撮影が素晴らしい映画で、この頃サイレント映画が豊饒の時を迎えていた事が窺い知れる。
第2回
1928-29
ブロードウェイ・メロディ
最初期のミュージカル映画。足が太いイモねーちゃん達が、稚拙なダンスを披露しているのはご愛敬。なかなかほのぼの愉しめる。姉妹愛が美しい。吃音の叔父さんのキャラクターが面白くて気に入った。
しかし、第1回 のオスカーを競ったサイレント映画「つばさ」や「第七天国」「サンライズ」等に比べると、さすがにトーキー黎明期の作品だけに芸術的に質が落ちていることは否めない。
第3回
1929-30
西部戦線異状なし
反戦映画の原点。今観ると新鮮味はないが、最後の有名な蝶々の場面は確かに詩的で、訴える力を持っている。その後量産された「商業的」反戦映画はリアリズムという点に置いて、アカデミー監督賞を受賞した「プライベート・ライアン」で行き着くところまで到達してしまった感がある(これは褒め言葉ではない…念のため)。これから戦争映画はどのような地平を目指すのだろう?
第4回
1930-31
シマロン
州に昇格する前のオクラホマを舞台に展開される破天荒な男の一代記。初期の西部劇と� �っても差し支えなかろう。お話は荒っぽいが、冒頭の土地の奪い合いはド迫力で、一見の価値あり。ロン・ハワード監督の「遙かなる大地へ」でこの場面が再現されている。
第5回
1931-32
グランド・ホテル
「大空港」「タワーリング・インフェルノ」等パニック映画でお馴染みの「グランド・ホテル形式」の始まり。一つの場所に集まった様々な人間模様の妙。伝説の名優達、夢の饗宴。後にミュージカル化され宝塚でも上演された。ミュージカル版は未見。再演熱望!
第6回
1932-33
カヴァルケード(大帝国行進曲)
ある一家の物語を軸に20世紀初頭の時代の変遷を描く大河ドラマ。タイタニック号も出てきます。確かに立派な作品ではあるのだろうが、僕は些か古めかしく感じた。
第7回
1934 < br/>或る夜の出来事
クラーク・ゲーブルによる、ヒッチハイク講座の可笑しさ!これぞソフィスティケイテッド(洗練された)・コメディ。「卒業」のラストシーンはこの映画へのオマージュである。
第8回
1935
南海征服(戦艦バウンティ号の叛乱)
これはカット割りが細かく演出もシャープ。男達の戦いが熱い、見応えのある海洋映画であった。クラーク・ゲーブルも若くてカッコイイが憎々しい悪役、チャールズ・ロートンがなんといっても名演。「情婦」のあの老弁護士と、同じ役者には見えないなあ。
第9回
1936
巨星ジーグフェルド
ブロードウェイ伝説のプロデューサー、ジーグフェルド描くアカデミー作品賞受賞作。長尺で物語はいささか退屈だが、ショー場面のセットの豪華さには度 肝を抜かれる。特にあの、「人間ウエディング・ケーキ」みたいな巨大な螺旋階段のセット!!
また映画「ファニー・ガール」の主人公、ファニー・ブライス本人が'herself'として登場する。
第10回
1937
ゾラの生涯
エミール・ゾラの生涯なんて、想像しただけで面白くなさそうなので長らく敬遠していたのだが、観てみると、有名な「ドレフュス事件」を核としてなかなか劇的展開で、予想外に感動し驚いた。これはいわゆる「法廷もの」の原点と云えよう。真実を追究することの尊さが高らかに宣言された映画である。如何にもアメリカ映画らしいスピリッツに満ちた名作。
第11回
1938
我が家の楽園
元はブロードウェイの戯曲だそうである。「ある夜の出来事」のフランク・キャプラ監督の社会� ��刺喜劇。ここに登場するある一家の面々がとにかく風変わりで面白い。これは人間賛歌である。ただ本作や、アメリカン・デモクラシーの教科書みたいな「スミス都に往く」の様な作品群よりも、キャプラ映画なら僕は「素晴らしき哉、人生!」の方が個人的に偏愛しているのである。
第12回
1939
風と共に去りぬ
文字通りハリウッド映画の金字塔。中学生で初めて本作を観て、映画の魅力に取り憑かれた。もうこの映画については他の欄で語り尽くしたので、これ位で良いだろう。
また39年はワイラー版「嵐が丘」や「オズの魔法使い」、「ニノチカ」、「駅馬車」、「邂逅」、「スミス都へ行く」「チップス先生、さようなら」等、沢山の傑作を産み落とし、20世紀で最も豊穣な年として永遠に記憶されるであろ う。
第13回
1940
レベッカ
イギリスの映画作家アルフレッド・ヒッチコック、渡米後の記念すべき第一作である。ヒッチコックらしからぬゴシック・ロマンで彼特有のユーモアに欠け、今やこれをヒッチコックの代表作と推す人はいないだろう。それでも水準以上の出来になっているのはさすがで、映画的瞬間(magic)に満ちた作品ではあると想う。個人的にヒッチには、「めまい」で作品賞を「サイコ」で監督賞をあげたかったなあ。
第14回
1941
わが谷は緑なりき
巨匠ジョン・フォードが故郷アイルランドを想い、描く家族の物語。フォード・ファミリー(血縁という意味ではない)もこぞって出演。力強く、何だかとっても温かい、そういう映画である。
大林宣彦監督はジョン・フォードを「マザ ー・コンプレックスの作家」でハワード・ホークスを「シスター・コンプレックスの作家」と定義した。成る程フォードの描く女達は、母なる大地のように堂々と腰を落ち着けた存在である。
この年、20世紀の最高傑作ともいわれる「市民ケーン」が公開されたが、映画のモデルになった新聞王ハーストの妨害でオスカーは脚本賞以外受賞できなかった。
第15回
1942
ミニヴァー夫人
アメリカが参戦した時期の作品であり、銃後を守る良妻賢母のお話であるから云ってしまえば国策映画である。名匠ウイリアム・ワイラー監督作品ではあるが現在、この映画に些かの価値があるのかどうかは大いに疑問である。
第16回
1943
カサブランカ
職人監督マイケル・カーティスが奇跡の脚本を得て創った、大傑作。なんたってボギーことハンフリー・ボガートの台詞がキザで格好よくって、痺れる。男なら一度はボギーに憧れるものさ。脚本は映画と同時進行で作業が進められ、最後までバーグマンは結末がどうなるのか知らなかったそうである。傑作はどんな形で生まれるのか分からない。主題歌As Time Goes Byも泣かせるねえ。
カーティスの監督作品なら、他にエロール・フリン主演の大冒険海賊映画「シ−・ホーク」が抜群に面白い。
第17回
1944
我が道を往く
Going My Wayですな。ビング・クロスビーが「唄う神父」を演じるヒューマン・ドラマ。アカデミー主題歌賞も受賞。物語は些か弛緩していて、ひねくれ者の僕にとってはこの映画で描かれる「善意」がどうも嘘臭くてノレなかった。
後にイングリット・バーグマンをゲストに迎えて続編「聖(セント)メリーの鐘」が作られた。
第18回
1945
失われた週末
"我々は一つであり実現"
コメディの天才、ビリー・ワイルダーのシリアス路線映画。アル中の話で僕は詰まらない映画だと想う。ワイルダーのシリアス系なら断然「サンセット大通り」の方が傑作だ。あの映画には人間の業の凄みがある。
大根役者レイ・ミランドが本作で主演男優賞を受賞。その後、アル中役をやりたがる役者が急増したそうだ。「オスカーが欲しいならアル中(リービング・ラスベガス)、身体障害者(マイ・レフト・フット、愛は静けさの中に、ピアノ・レッスン)、知的障害者(レインマン、フォレスト・ガンプ)、娼婦(バターフィールド8)を演じればいい」というジンクスがこの頃から生まれた。
第19回
1946
我等の生涯の最良の年
これまたウイリアム・ワイラー監督の国策映画。第2次世界大戦が終結し、帰還兵は社会に順応していけるのか、社会はどのように彼らを受け入れればよいのか、それは当時切実な問題であったろう。この映画を観ると人物描写の巧みといい、やはりワイラーは極めて優れた監督だと関心する。テレサ・ライトのまるで聖母のような優しい眼差しで心が和む。しかしさて、現代の我々にこの映画が訴え得るものが何かあるだろうか?
第20回
1947
紳士協定
ユダヤ人で共産主義者であったエリア・カザン監督が赤狩りで転向する前に創った、アメリカ社会に潜在するユダヤ人差別を告発する映画。でもどうもそのアプローチが甘く、訴える力を持たない生ぬるい作品になっている。ユダヤ人の多いハリウッド社会で過大評価された映画だと僕は想う。
第21回
1948
ハムレット
ローレンス・オリビエ監督主演による正統的シェイクスピア映画。イギリス映画が作品賞を受賞したのはこれが初めてであろう。なかなか撮影も凝っていて、面白い絵作りになっていると想う。
第22回
1949
オール・ザ・キングズメン
長らく日本未公開だった映画。腐敗した政治を告発する作品で、こういう社会派の映画は風化する速度が速く、今や完全に色褪せた代物となってしまった。
監督のロバート・ロッセンはやがて赤狩りの犠牲者となる。
第23回
1950
イヴの全て
All About Eve…最近でもスペイン映画「オール・アバウト・マイ・マザー」がそのタイトルをもじっている。女優の業、女の性(さが)をここまで描ききった作品は他にはあるまい。実はあのラジー賞を大量受賞し、1980年代「サイテーの映画」の名をほしいままにしている迷画「ショー・ガール」は「イヴの全て」を下敷きにしているのだ。
この年はワイルダーの大傑作「サンセット大通り」がイヴとオスカーを互角に競ったということも記憶にとどめたい。
第24回
1951
巴里のアメリカ人
MGMミュージカルの金字塔。終幕の15分に及ぶダンス・シーンは圧巻。映画は総合芸術であることを再認識させられる。振り付け師としてのジーン・ケリーの才能が爆発。ただ、脚本は非常に平板な仕上がりだと想う。
第25回
1952
地上最大のショー
スペクタクル映画の巨匠、セシル・B・デミル監督による壮大な見せ物映画。お話の筋は奇麗サッパリ忘れた(^^;。まあ、そういう作品である。この作品が選ばれたのは100%ミスジャッジ。この年なら監督賞を受賞したジョン・フォードの「静かなる男」が最も作品賞に値したと思う。「静かなる男」はE.T.がビールを飲みながら観ていたTVで放送されていたことでも有名である。そう、あの名ラブシーンだ。
第26回
1953
地上より永久に
落ち目になっていたフランク・シナトラはこの映画に出演するためにマフィアの力を借りたと噂されており、そのエピソードは「ゴッドファーザー」に出てくる。結局彼は助演男優賞を本作で受賞し、見事に起死回生を成し遂げた。ハワイを舞台に真珠湾攻撃の前後が描かれる映画で、物語は取るに足らない。ただ、波打ち際のラブ・シーンは非常に印象的だった。
フレッド・ジンネマン監督ならば「ジャッカルの日」の方が断然面白い。
第27回
1954
波止場
エリア・カザンは赤狩りの時代、非米活動委員会で共産党員の仲間を売り、転向を宣言した。その苦渋の選択の痛みが滲み出ている映画である。「裏切り者」のレッテルを貼られた彼はその後、茨の道を歩み続けることになる。20世紀の終わりに、アカデミー名誉賞を受賞した彼に決して拍手を送らず、憮然と腕を組んで授賞式会場の席に座る映画人も少なくなかった。これもひとつのアメリカの悲劇であろう。
また本作はレニーことレナード・バーンスタインが映画のためにオリジナルの音楽を作曲した唯一の作品としても記憶されるべきであろう。レニーがニューヨーク・フィルの主席指揮者であった頃の話だが、全米ツアーの際、南部のある都市でホテルがオーケストラの黒人奏者に対し宿� ��拒否をするという出来事があった。激怒したレニーはホテルの宿泊を全員キャンセルした。彼はそういう熱血漢であった。そのレニーが「裏切り者」カザンに何故協力したのか、僕には判らない。何か彼なりの考えがあったのだろう。
第28回
1955
マーティ
冴えない男と女の地味な物語。この頃台頭してきたテレビの影響を強く受けた、低予算の佳作である。脚本家も監督もテレビの人で映画は初仕事、物語自体ももともとテレビドラマとして放送されたものだそうだ。
第29回
1956
80日間世界一周
僕はこれのどこがオスカーに値するのか皆目見当がつかない。是非どなたか教えてほしい。所詮、沢山のゲスト・スターを呼び物にした観光映画に過ぎないと想う。この年の他の作品賞候補が「ジャイアンツ」「友情ある説得」「王様と私」「十戒」で、総じて質的に低調な年であったことは確かだ。
第30回
1957
戦場にかける橋
無骨な戦争映画の傑作。我が国の誇るハリウッド・スター、早川雪舟はこれでアカデミー助演男優賞にノミネートされた。脚色には原作者がクレジットされているが実は赤狩りのブラックリストに載り、ハリウッドを追われていたカール・フォアマンとマイケル・ウィルソンが執筆した。やはり赤狩りで仕事が出来なくなったドルトン・トランボも名前を隠したまま「赤い子牛」「ローマの休日」で2度もアカデミー脚本賞を受賞している。
第31回
1958
恋の手ほどき
MGMミュージカル(というか偉大なるプロデューサー、アーサー・フリード製作のミュージカル)、最後の名作。派手さはないが、可愛らしくて洗練された、味わい深い映画である。モーリス・シュバリエが粋で良い。撮影や美術、衣装のスタッフも見事としか云いようのない匠の仕事ぶりである。それにしても、この作品にオスカーを9部門で与えるのは、いくら不作の年でも多すぎるのでは(^^;?
第32回
1959
ベン・ハー
戦車の競争場面が有名。「スターウォーズ・エピソード1」でもそのオマージュが登場した。これを執筆した脚本家によるとベン・ハーと友人のメッサラの関係はホモ・セクシャルを匂わせているそうである。ハリウッドにおける厳しい映画検閲の為にそれを正面切って描くことが出来ない、そういう時代だったのだ。
脚本家のゴア・ヴィダルは語る、「ウィリアム・ワイラー監督に私はこんな提案をした。15、16才で別れたとき2人は恋人同士で、再開したマサラはよりを戻そうとする。ワイラーはそれを聞いて青くなった。そこで私は"あけすけな台詞はありませんよ。メッサラの恋心だけ、はっきり分かるようにします"と云った。結局,最後に"今よりましだ。やってみよう"ということにな� �た。」
ワイラーが如何にリベラルな人であったかを窺わせるエピソードである。「ローマの休日」でも赤狩りで干されていたダルトン・トランボに脚本を依頼するくらいの度量を持った偉大な監督だった。
第33回
1960
アパートの鍵貸します
ここで、彼らは今、小さな驚きのキャストされます。
ビリー・ワイルダーがやっと本家のコメディでオスカーを受賞。遅すぎたくらいである。オスカーは本当にコメディに冷たい。しかし、シャーリー・マクレーンが主演女優賞を貰えなかったのは気の毒としかいいようがない。替わりに受賞したのが「バターフィールド8」のエリザベス・テイラーなんだからこれは不当な受賞であろう。瀕死の大病に罹ったリズに同情票が集まった為といわれている。シャーリーは「私も死にかけたらよかったわ。」と呟いたとか。その気持ち、痛いほどよく分かる。シャーリーは結局、1983年に「愛と追憶の日々」で漸くオスカーを手にすることとなる。
第34回
1961
ウエストサイド物語
出演者の芸や豪華な衣装、セットで魅せるのではなく、画面の構図、編集の切れ味で勝負する、新しいタイプのミュージカル映画の登場。MGMスタイルの終焉であり、同時にミュージカル映画の新しい夜明けを告げる革命であったと云えるだろう。しかし、それがミュージカルにとって幸せなことであったかどうかは判らない。
偉大な指揮者でもあったレニーことレナード・バーンスタインの音楽は素晴らしいが、人種差別というテーマは、さすがに今日では些か古めかしくなったことは否めない。
第35回
1962
アラビアのロレンス
デビッド・リーン監督の大傑作。砂漠の美しさをこれほどまでに描ききった映画を他に知らない。しかし長すぎて少々物語も複雑で、最初観たときは正直退屈した。真価を知るまでに多少時間がかかる映画かも知れない。それにしても上映時間が4時間近いこの映画、女性がひとりも出てこないというのは凄いことだと想いませんか?
第36回
1963
トム・ジョーンズの華麗な冒険
イギリス産の痛快なコメディ映画。こういう軽いタッチの映画がオスカーを受賞するのも珍しい。本作は余り知られていないが一見の価値あり。お気楽な気持ちでどうぞ。
第37回
1964
マイ・フェア・レディ
この映画は確かに傑作かも知れないが、オリジナル・キャストのジュリー・アンドリュースだけイライザ役から外されたのが納得できない。代わりにキャスティングされたオードリーは唄が吹き替えだし、小娘のイライザを演じるには年を取りすぎていると想う。多分当時34歳くらいだろう。嗚呼、ジュリーのイライザが観たかった!今となっては2種類のオリジナル・キャストCDで空想を羽ばたかせるしかない。
この年のアカデミー賞では「マイ・フェア・レディ」が大量受賞したにもかかわらず、オードリーは主演女優賞にノミネートさえ、され無かった。そして皮肉にもオスカーを手にしたのは「メリー・ポピンズ」に出演したジュリーであった。舞台からのオリジナルキャ� �トでオスカー主演男優賞を受賞したヒギンズ役のレックス・ハリスンは「この喜びをふたりのマイ・フェア・レディーズと分かち合いたいと想います。」と受賞スピーチをしたそうである。
第38回
1965
サウンド・オブ・ミュージック
この映画を初めて見たのが中学生の時。それから10年後、僕は映画がロケされたザルツブルクの地に立った。花で満ちあふれたミラベル公園、山頂にそびえるホーエンザルツブルク城。マリアがいた修道院、そして結婚式の場面で登場した郊外の教会。これらひとつひとつの美しい風景が、生涯忘れることの出来ない大切な想い出である。何とも清々しい、僕にとって忘れ得ぬ青春の映画である。
第39回
1966
わが命つきるとも
まあ、トマス・モアのお話で何だか地味なコスチューム・プレイ(衣装は超豪華)。自らの生命を賭けても信念に生きる男の凄みが余り切実に伝わってこず、どうも僕にはこの映画の良さが分からない。その一番の原因はモアの行為がカソリック教徒としての信仰に立脚してるからだろう。信仰を持たない日本人の琴線に触れる要素は薄いのではないか?
第40回
1967
夜の大捜査線
黒人問題を扱った映画が受賞するのは初めてだろう。白人警官と黒人警官の組み合わせというのは最近のハリウッド映画では当たり前になった。ただ最近は人種差別というテーマが前面に出てくることはないが。
そういう意味で、もうその役割を終えた作品と云えるかも知れない。
第41回
1968
オリバー!
「第三の男」の巨匠キャロル・リード監督、晩年の作品である。しかし、彼らしい「切れ」が見られず、その力量の衰えは隠しきれない。なんでこれがオスカー取れたのか大いに疑問。むしろこの後にリードが撮った「フォロー・ミー」の方が愛すべき逸品である。
この年、「2001年宇宙の旅」が公開された。監督賞の候補にはなったが作品賞候補からは漏れた。信じがたい話である。
第42回
1969
真夜中のカーボーイ
僕は予算も志も貧しい「アメリカン・ニューシネマ」というムーブメントが大嫌いである。反ベトナム、ヒッピーの台頭という時代の副産物であるが、既存の秩序、伝統の破壊を目指す彼らの運動は、結局無に帰しただけという気がする。ルーカスやスピルバーグによる「ハリウッド・ルネッサンス」が到来し、良き伝統が復活する時代まで、ハリウッドは一時死んだのだ。その中でも最悪の例がこの映画である。登場人物も、風景も、物語も汚く、下劣。僕に云わせればこんな腐った映画が受賞したのはアカデミー賞史上最大の汚点である。この時代を支持する映画ファンは当時大学紛争に身を投じた世代のおじさん達だけだろう。
第43回
1970
パットン大戦車軍団
ベトナム戦争という時代を反映して、なかなかタカ派な映画である。戦争映画としてこれが抜きんでた作品とは到底想えないし、日本では全く評価されず、キネマ旬報のベストテンにも当然ながら入選していない。アカデミー賞はその時代を映す鏡であるという、よい例である。シャフナー監督の映画なら「ブラジルから来た少年」なんか、面白かったなあ。
この年、僕なら作品賞にデビッド・リーン監督の「ライアンの娘」を文句なしに選んだな。
第44回
1971
フレンチ・コネクション
刑事物の佳作。電車を車で追っかける場面が手に汗握る。ただ僕は同じジャンルなら「ダーティ・ハリー」を推すのだが。
第45回
1972
ゴッドファーザー
父親がイタリア移民であるコッポラ監督がマフィアを描く一大叙事詩。これは大家族の物語でもある。
余談だが、コッポラはカリフォルニアでワイナリーを経営していて、「コッポラ・ロッソ」というワインは僕のお気に入りである。
第46回
1973
スティング
まあ、この作品の価値は古典的スタイルによる作風と、ラストのどんでん返しにある。何度観ても愉しめるかどうかは甚だ疑問。
第47回
1974
ゴッドファーザーPART2
オスカー史上唯一の続編受賞。全く別の時代の物語が同時進行するカットバックの妙で魅せる。哀愁を帯びたニーノ・ロータの音楽が切なく美しい。ただし、借金苦のコッポラが苦し紛れに製作したPART3は駄作である。
第48回
1975
カッコーの巣の上で
「プラハの春」の動乱をキッカケにチェコスロバキアから亡命したミロシュ・フォアマン監督による、精神病院を舞台に人間の尊厳と魂の自由を訴える映画。この精神病院を共産主義体制と置き換えると、フォアマンが監督に選ばれた必然性を理解できよう。確かに立派な作品ではあるが、面白くはないわなあ。
第49回
1976
ロッキー
単純なスポコン映画。無名の俳優、シルベスター・スタローンが脚本主演した低予算映画で、これで彼はアメリカン・ドリームを実現した。そして続編を量産し、最低の映画を表彰するラジー(ゴールデン・ラズベリー)賞で、スタローンは80年代の主演男優賞最多受賞者となる。
第50回
1977
アニー・ホール
あなたは、アイルランドのお母さんをどのように言うんだ
ウディ・アレン監督、脚本、主演の映画の中で、このやたらと主人公が神経質で饒舌な映画を僕は余り好まない。白黒撮影が美しい「マンハッタン」、沢山登場する人間群像の描写が丁寧な「ハンナとその姉妹」、ファンタジックな「カイロの紫のバラ」の方が好きだなあ。
またこの年、スターウォーズが登場しオスカーを7部門受賞したことも忘れてはなるまい。
第51回
1978
ディア・ハンター
ベトナム戦争を描く映画の初受賞。ロシアン・ルーレットの場面が話題になった。そしてベトナムに出兵する前の結婚式の場面が、延々1時間も描写される場面に閉口した観客も少なくない。監督のチミノは本作の後、上映時間4時間の大作「天国の門」を製作。惨憺たる興行成績で自らの首を絞めることになる。
第52回
1979
クレイマー、クレイマー
アメリカの離婚率の上昇という世相を反映したホーム・ドラマ。
第53回
1980
普通の人々
この頃、家族の崩壊という問題が如何に切実であったかということが、前年の受賞作と共に窺い知れるだろう。ただ映画として面白いかどうかはねえ…。僕にとっては退屈な作品。レッドフォードがメガフォンを取った作品では「リバー・ランズ・スルー・イット」が映像が美しく、良いと想う。
第54回
1981
炎のランナー
スポーツ映画の傑作。バンゲリス作曲、シンセサイザー演奏による音楽が、ユニークで印象に残る。
第55回
1982
ガンジー
この年は誰が何と云おうと「E.T.」が受賞すべきであった。「ガンジー」は確かに主張や志は立派な映画であるが、映画的魅力に富む「E.T.」と比較して、何と愚直で退屈な作品であることか。NYタイムズ紙は「オスカーはノーベル平和賞と取り違えているみたいだ」と書いた。けだし名言である。今日、「ガンジー」を名画と呼ぶ人は誰もいないだろう。
第56回
1983
愛と追憶の日々
この映画の主演、シャーリー・マクレーンの余りにも遅すぎた受賞は当然のこととして、作品自体は僕には平凡なホーム・ドラマに想える。難病ものというのが、また如何にもお涙頂戴で安っぽい。
ところでこの頃、邦題でやたらと「愛と…」「愛は…」というのが多く辟易した。「愛と喝采の日々」「愛と青春の旅立ち」「愛と欲望のナイル」「愛と哀しみのボレロ」「愛は静けさの中に」「愛は霧のかなたに」etc.
第57回
1984
アマデウス
音楽ものの傑作であり、天才と、平凡な才能しか天から授からなかった者との葛藤という作品構造が面白くスリリングであった。
監督のミロシュ・フォアマンはこの映画のロケを古里のプラハで敢行した。
第58回
1985
愛と哀しみの果て
ご存知「愛と…」シリーズである。原題はOut of Africaで愛と関係は一切無い(^^;。空中撮影とジョン・バリーの音楽が美しかっただけの詰まらないメロドラマだった。この年、スピルバーグの「カラー・パープル」こそオスカーに相応しかったのでは?11部門ノミネートされた「カラー・パープル」の受賞はゼロ。これは余りにも酷すぎた。スピルバーグ・バッシングが大いに問題になった年である。
第59回
1986
プラトーン
ベトナム帰りの負傷兵、オリバー・ストーンが憎悪の念を込めて創った作品。彼は後にケネディさえ生きていれば俺はベトナムに行かなくて済んだのにという想いを込め「JFK」を、全て俺の不幸はコイツのせいだという恨みから「ニクソン」を撮った。
「プラト−ン」の頃のストーンの映画は、今ほどのアクの強さや押し付けがましさが無く、シンプルな神話性があり、なかなか好感が持てた。
第60回
1987
ラスト・エンペラー
プロデューサーは英国人、監督はイタリア人、舞台は中国という国際的な映画。壮大な叙事詩として見応え十分。ストラートの撮影も見事の一言である。特にラストシーンが印象深かった。坂本龍一氏が作曲賞を受賞したことも非常に喜ばしい出来事であった。合わせて同じ時代を背景にした香港映画「さらば我が愛/覇王別姫」も是非観ていただきたい。こちらも大傑作である。
第61回
1988
レインマン
まあ、結局「知的障害者=天使」という安直な発想から生まれた「良心的」映画なので誰も批判できない仕組みになっているのだ。しかし僕はここに高らかに宣言しよう、これはなんの芸術的価値もない退屈な愚作であると。大体障害者を特別視して崇め奉ることになんの価値があろう?差別しないというのは同じ人間として普通に接することではないのだろうか?
これで監督賞を受賞したバリー・レビンソンはその後駄作を連発し、才能の欠如を露呈した。ただし、彼が脚本も書いた「わが心のボルチモア」AVALONは良い映画だった。
第62回
1989
ドライビング・ミス・デイジー
オスカーを与えるほどではないが、愛すべき小品である。本作で主演男優賞候補になったモーガン・フリーマンや「グローリー」で助演男優賞を受賞したデンゼル・ワシントン等、黒人の名優が活躍したことでも記憶されるべき年である。
兎に角、この年有力候補だった、唾棄すべきオリバー・ストーン監督作品「7月4日に生まれて」が受賞しなくて良かった!あの酷い代物については「この映画を笑い飛ばせ!」のコーナーに詳しく書いた。
第63回
1990
ダンス・ウィズ・ウルブズ
ダラダラと長いだけの凡庸な映画。「ポストマン」でラジー賞に大量ノミネートされたことでも判るとおり、現在ではケビン・コスナーの監督としての才能を信じる� ��は誰もいない。ハッキリ云おう。最初から彼にはセンスが無かったのだ。
アメリカの少数民族に肩入れしたことが素晴らしいと評価されたのなら、映画で彼らに惨殺された沢山の白人達=弾圧者に生きる資格はないのか?悪党だからといって人権が認められなくて良いのか、公平な裁判なしで私刑に処せられても良いのか??どうしてこう善意の仮面を被った短絡的作品が「良心作」と見なされるのだろう・・・
第64回
1991
羊たちの沈黙
初めて観て大変面白く、気に入ったが、まさかこの残酷シーンてんこ盛りのサイコ・サスペンスが作品賞を受賞できるなんて想像だにしなかった。これは快挙である。本作が公開された後、製作した映画会社が倒産したことで同情票が集まったとの説も登場したが、まさかねえ・・・
第65回
1992
許されざる者
マカロニ・ウエスタンの代名詞でもあった俳優、クリント・イーストウッドが監督した西部劇への愛情を込めた鎮魂歌。深い哲学を持ち、黄昏の美しさに満ちた名篇で、監督としてのイーストウッドも偉大だ。
第66回
1993
シンドラーのリスト
「カラーパープル」の屈辱から8年、スピルバーグがアカデミー賞を取るために万全を期して臨んだ映画である。僕は人物描写が表層的で、練れていない脚本に問題があると今でも思っている。個人的にはこんな彼らしくもない作品ではなく、「E.T.」でこそスピルバーグには受賞して貰いたかった。オーストラリア映画「ピアノ・レッスン」こそこの年の作品賞に相応しかったと想う。
第67回
1994
フォレスト・ガンプ/一期一会
「レインマン」同様、知的障害者を主人公にした「良心的」映画。監督のゼメキスの作品なら「バック・トゥー・ザ・フューチャー(第1作目のみ)」の方が断然面白い。それにしてもアカデミー史上、特殊効果賞を受賞した映画が作品賞も獲ったのはこれが初めてのことだろう。SFXの新たなる可能性を示唆したという点で大いに評価したい。
第68回
1995
ブレイブハート
大作であるということだけに価値のある映画。何で最近のアカデミー賞は有名スターが監督した凡庸な作品にオスカー像を与えたがるのか?
例えどんな理由があろうと、人を殺すということは決定的に罪深いことであるという哲学の「許されざる者」を高く評価した過去と、家族を殺された復讐の為、憎悪に狂った男がバッサバッサと殺戮を延々繰り広げていく事を正当化し、英雄視する馬鹿げたこの「ブレイブハート(勇敢な心)」に作品賞を与えるということは明らかに矛盾する行為だろう。
第69回
1996
イングリッシュ・ペイシェント
このあたりは、詰まらない作品が続いてウンザリするなあ(^^;。
本作は平凡なメロドラマ。こんな不倫ものは、お昼のテレビドラマ(昼メロ)で十分でしょう。
第70回
1997
タイタニック
スペクタクル映画としては優れているが、何しろ脚本が駄目。ここはエッセイ「タイタニック〜ラストシーンを嗤う」をご覧あれ。キャメロンなら、この際タイムパラドックスには目を瞑り「ターミネーター2」の方が良い。
個人的にはこの年、「L.A.コンフィデンシャル」に受賞して欲しかった。
第71回
1998
恋におちたシェイクスピア
優れた脚本による、楽しい恋愛コメディである。この受賞は久しぶりに納得できるものであった。「ロミオとジュリエット」に始まり、最後が「十二夜」に繋がっているというのが気が利いている。
第72回
1999
アメリカン・ビューティ
家族の崩壊を描く映画であるが、「普通の人々」と比べて、ひと味もふた味も違うよく錬られた作品に仕上がっている。シリアスな内容なのに、奇妙な明るさがここにはあるのだ。
猥雑で退廃的なミュージカル「キャバレー」を観てその演出家、サム・メンデスにこの脚本を託したスピルバーグの目は確かであった。
第73回
2000
グラディエーター
マッチョマンの話である。以上(笑)。・・・と、それだけでは申し訳ないので一寸だけコメントするなら、確かにCGをふんだんに使い派手な映画ではあるが、そこに登場する人間描写が全くというほど出来ていない。本作を「ベン・ハー」と比較する批評があるが、そりゃあ「ステージが違う」と申し上げたい。
リドリー・スコット監督なら「デュエリスト -決闘者-」「エイリアン」「ブレードランナー」等の確固たるスタイルを持った作品群の方が「グラディエーター」のような薄っぺらな映画に比べて、遥かに傑出していると想う。
第74回
2001
ビューティフル・マインド
この映画には「シックス・センス」並の大仕掛けが仕組まれているので、なかなかネタバレなしで書くことは難しい。というか巷に氾濫している紹介文を読むと、完全に種明かしをしているものが少なからずあるので、完全に予備知識なしでご覧になることをお勧めする。映画を観る楽しみが半減してしまいますよ。
実話の映画化というと劇的要素が少なく、淡々として退屈な作品が多い中(その典型例がオスカーを大量受賞した『ガンジー』である)、この映画の場合はフィクショナルなハッタリを加味し、観客をアッと驚かせる仕掛けもあってエンターテイメントとして秀逸な出来であると想う。これは練りに練られた脚色の勝利であろう。ロン・ハワード監督は小気味よ く分かり易い演出で好感を持ったが、まあ僕としては彼には傑作「アポロ13」でアカデミー監督賞をあげたかった。遅きに失したきらいがある。
ラッセル・クロウのおどおどした病的演技は確かに上手いのだけれど、些か<作りすぎ>だなぁ。彼の資質に似合ってないと想う。恐らく脚本を手にしたラッセルくんは「お、この役なら2年連続オスカー受賞はいけそうだ。」とほくそ笑んだことだろう。そして同じ様な役で過去にオスカーを受賞した「フォレスト・ガンプ」のトム・ハンクスや「レインマン」のダスティン・ホフマンの演技をビデオで繰り返し観て研究したに違いない。そういう事情が透けて見えるような<あざとさ>を今回の彼に感じて、なんだか可笑しかった。実生活のラッセルくんは直ぐにカッとして人に殴りか� �るような粗野な男らしいが(英アカデミー賞授賞式でのプロデューサーとのトラブルなど)、それを地で演じたような「LAコンフィデンシャル」の暴力警官役の方が素直な演技で僕は大好きだ。しかし一方で来日記者会見時、主演男優賞に自信たっぷりで超ご機嫌だったラッセルくんの天狗になった受賞スピーチも聴いてみたかったのも事実である(英アカデミー賞ではなんと詩!?を朗読したそうだ。でもプロデューサーが長すぎると途中でCMを挿入(^^;)。授賞式でプレゼンターだったジュリア・ロバーツは「デンゼル・ワシントン」の名を読み上げた時、はしゃいで大喜びだったが、よっぽど奢れるラッセルくんに自らオスカー像を渡すのが嫌だったのだろう。
第75回
2002
シカゴ
ボブ・フォッシー色の濃密なダンス・パフォーマンスを見事にドラマティックな映画に置き換え、くっきりと独自色も打ち出した振り付け・監督のロブ・マーシャルの手腕にブラボーの花束を。さすがテレビ版「アニー」(1999)の鮮やかな演出で惚れ込んだだけのことはあった。
オリジナルの舞台はモノトーンでシンプルな装置であるが、映画版は華やかでこれぞショー・ビジネス!という印象。その象徴的な台詞が"That's Chicago."である。
十代で「アニー」や「42nd Street」のヒロインを舞台で演じたというキャサリン・ゼタ=ジョーンズのパフォーマンスが圧巻。噂には聞いていたが想像をはるかに超える歌唱力に痺れた。リチャード・ギアの気障で金でしか動かない悪徳弁護士役ははまり役だったが、これを2度もオファーされながら断ったジョン・トラボルタで観たかった気もする。映画が大ヒットしてオスカーを6部門も受賞して、トラボルタは後から大いに後悔したそうだが。
ミュージカル映画がアカデミー作品賞を獲ったのは「オリバー!」以来実に24年ぶりの快挙。そしてミラマックス社の映画としては歴代最高の興行成績を上げた。ミュージカル映画の復権を大いに慶びたい。
第76回
2003
ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還
映画史上例を見ない壮大な物語、一大スペクタクル巨編三部作の掉尾を飾る「王の帰還」、いやはや怒濤の展開で息つく暇もない。上映時間3時間23分があっという間に過ぎていく。ただし、贅沢を承知の上で苦言を呈すなら指輪を葬った後のエピソードが冗長で、これは多少カットしても良かったのではなかろうか?灰色港の場面で潔くエンド・クレジットに移行するという選択肢もあったのではという気がする。
まあしかし、視覚効果や音響効果は相変わらずの超一級品で他の追随を許さない。特に巨大蜘蛛の造形は秀逸で圧倒的存在感があり、同様のキャラクターが登場した「ハリー・ポッターと秘密の部屋」と比較するとその出来は雲泥の差だった。さらに、� �煙(のろし)の炎が山の頂から山の頂へと次々と点火されていく映像が雄大で圧巻、嗚呼これぞ映画を観ることの醍醐味だなぁと魂が震える覚えがした。
もし貴方がこれからDVDで観るのなら是非とも劇場公開版ではなく、更に長尺の4時間10分版=「王の帰還」スペシャル・エクステンディッド・エディションを体験されることをお勧めする。内容が更に充実している(冗長なエピローグには追加場面はないのでご安心を)。一気に観る必要はない。本を読むように、じっくり味わいつつ時間をかけて愉しまれればよいだろう。それだけ労力をかけるに足る、希有な作品なのだから。特典DVD(たっぷり2枚!)も内容が濃くて実に面白い。
色々好き勝手を書いてきたが、真の傑作が受賞したり、何でこれが?のトンデモ映画が獲っ� �り、それをワイワイああだこうだと語り合うのもオスカー・ナイトの醍醐味である。僕にとってはそういう時間が限りなく愉しく、そして心地よいのだ。
参考文献
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