メンタル
【運転の無意識化と意識化】
クルマの運転を行なうとき、まず一番最初の覚える段階(教習の段階)では、大部分の運転操作が意識して行われています。
意識してする動作はぎこちなくなるのが当然です。
それが、運転の回数を重ねていくうちに意識せずとも操作ができるようになるわけです。
意識せずともできる操作というものはスムーズな動作です。
この、<意識>→<無意識>の昇華は、運転に限らず人間の行動ならほとんどのものにあてはまるのです。
たとえば、朝起きて歯磨きをすること。
たまに念入りに磨こうと思って意識して行なうときもありますが、ほとんどの場合、歯磨き中は他のことを考えながら、もしくは何も考えずボーっと行なっているはずです。
たとえば、お箸を使ってものをたべること。
日本人なら当たり前に使うお箸でも、その文化のない外国人の人からすれば、お箸を使ってものを食べることは難しいし、それにトライするとなれば、相当意識してお箸を扱わざるを得ません(料理を味わう意識が半減するぐらい)。
日本人の我々だって、もう記憶には残ってないかもしれませんが、小さい頃スプーンやフォークから、初めてお箸を使うようになった時期は、うまく扱えなかったはずです。
しかし成長するなかで、誰もが意識せずにお箸を扱えるようになっていきます。
大人ともなれば、食事中、普通はそこで出された料理やそのときの会話に意識が向いています。
ということで極論になるかもしれませんが、「クルマを運転すること」=「お箸を使ってものを食べること」と言いたいのです。
つまり、「誰でもできるようになること」です。
すぐにできるようになるか、時間がかかるかは、人それぞれですが、いずれできるようになります。
日常生活で何とかクルマを乗れるぐらいのレベルならば。
そこで気をつけなければならないのは、とにかく無意識化すればいい、ということではないことです。
無意識化の恐いところは、悪い行動でも(悪い行動のほうが)無意識化していくことです。
目指すのは、良い行動が無意識化して習慣化されることです。
しかし、悲しいことに人は悪い行動も無意識化されているはずです。
その悪い行動の無意識化(習慣)は、自分で気がつくのは至難の業で、第三者からの指摘を受けたり自分の行動をビデオに撮るなどして客観的に見たりすることをしないとなかなか気がつくことができません。
これは、なかなか苦しいものがあります。
例えそれが悪い行動だとしても、一度身についた無意識の行動はスムーズな動作であるはずで、それをわざわざ意識して一旦壊す(一時的にスムーズでなくなる)ことはツライですよね。
スムーズにできているんだから問題ナイネ!� �と思いたいですよね。
しかしそこが分かれ道で、運転操作を向上させようと思うならば、常日頃から自分自身の運転行動を意識化し改善していこうという気持ちが大事です。
効果的なのは、同乗者からの指摘や意見、ときには苦言を聞くことなのですが、他人からの指摘や意見を素直に聞くのは難しいですね。
特に運転に関しては。
他人からの意見を素直に聞いて、なおかつそれを取り入れられる人は、運転技能だけでなく人間的にも尊敬するに値する人になるはずです。
それぐらい、難しいことですが、少しでも実践してみましょう。
クルマを運転するのにあたって、'自信'は必要かどうか。
教本にも書いてあるのですが、ある会社のデータで、よく事故を起こすドライバーは、自分のことを「運転が上手い」と思っているのに対し、事故を起こさないドライバーは、自分のことを「運転がうまくない」と思っているそうです。
このデータで分かることは、自分のことを「運転がうまい」と過信することで事故を引き寄せるし、自分は「運転がうまくない」と気を引き締めて運転すれば事故にならないということです。
安全運転にとって大事なのは、テクニックよりメンタルの部分です。
若い人は自分の技量を過信しやすいと言われていますが、若くない人もクルマの運転に関しては、自分の技量を過信しやすいので� ��ないかと思います。
彼らが電話に出るときにロシア人が何を言うのですか?
それじゃあ「自信」はまったく必要ないのかと言ったら、それも違います。
統計やアンケートを取ったわけではないので、正確な数字はないのですが、ほどんどのドライバーは、「自分は運転がうまい」か「少なくとも下手ではない」と思っているのではないかと思います。
もしクルマを運転しているドライバーが、まったく自信なく運転していたとしたら、乗っている人は生きた心地がしないでしょう。
それ以前に、まったく自信のない人は、ハンドルを握ろうとする気がおこらないはずです。
根拠なく自分に自信が持てる人は大丈夫でしょうが、自信を持つための根拠がないから自信が持てない、という人が普通で� ��。
そういう人のために、根拠となりうる理由を。
例えば、教習所を卒業して、免許を手にしている事実。
例えば、アクセルを踏んで力強い加速ができること。
こういう風にいくらでもあります。
まずは1ミリの自信を持って道路に出てください。
その自信が、だんだんと大きくなっていくでしょう。
結論としては、クルマの運転には過信は禁物ですが、ある程度の自信は必要です。
その根拠は、ささいなものでも良いので。
長年、「危険予測」の教習(技能・学科とも)をやってきました。
その教えを一言で言うと、こうです。
'見えない部分に危険が潜んでいるのではないか、と考えて運転をしなさい'
そう考える(予測する)ことで、もし本当に危険なことが起こったときに反応しやすい、または反応が速くなる、ということです。
その考えは間違いではありません。
かなり正論であると思います。
しかしその考えだけですと、もし事故が起きたら、それは事故を起こしたドライバーが危険予測をしてないのが悪い、ということになります。
今までそれが当たり前で、その考え方になんの疑いも待たずにいました。
しかし、つい最近気がついたのです・・・。
危険が予測できないのは、そのドライバーの意思だけの責任ではないということに。
潜在意識が関わっているということに。
実際に'危険なこと'が起こることって、ほとんどない。
危険はいろいろあるのですが、典型的、定番とも言える"ボールを追いかけて飛び出してくる子ども"を例に挙げましょう。
見通しの悪い交差点や家の塀、駐車車両などがあったときに、そこからボールを追いかけて飛び出してくる子どもがいるのではないかと考えておきなさい、と言われます。
が、そんなことはほとんど起こらないのです。
最初のうちは子どもが飛び出してくるかもしれない、と予測するかも知れません。
そして、そういう場面を10回、20回・・・・100回とすごすうちに潜在意識下に浸透する考えは「危険なことは起こらない」です。
頭では、子どもが飛び出してくるかもし� ��ないと考えていても。
なぜなら、繰り返し行われる行動は、深く潜在意識に入っていくからです。
人間は意識(顕在意識)が1割、無意識(潜在意識)が9割、と言われていることから、頭で考えるよりも潜在意識に入ってしまったことが行動にでます。
運転は慣れたころが一番危ない!と言われています。
その理由として、危険なことはめったに起こらないということが、頭ではなく無意識(潜在意識下)の中に入っていくことが挙げられます。
ボールを追いかけて飛び出してくる子どもが日常よくあるものなら、そこらじゅうに存在するものであれば、予測ができます(スムーズに走れませんが)。
現実の道路では、シミュレーターと違って危険なことがたま~に起こるかどうかなのです。
なので� ��危険予測をしなかったドライバーを一方的に責めることはできないのです。
その人の潜在意識にはガッチリと「いないだろう」という声があるからです。
それに対抗するために、どうするか。
・・・。
・・・。
・・・。
パーティーの参加者を処理する方法
危険が予測できる場面では、速度を落として近づく、ブレーキに足を掛ける、声に出して言う、首を左右に振って確認するなど、身体を動かすことで、潜在意識(大丈夫だろう)に対抗するしかないと思います。
敵は、相当手ごわいですね。
【心の禁煙】
実際のタバコと心のタバコ(愚痴・文句・悪口)の共通点があります。
それは、副流煙も(のほうが)害がある、ということです。
喫煙者の吐く煙やタバコの先から出る煙(副流煙)が、タバコを吸っていない人にとって害を与えるように、心のタバコの煙も周りに害を与えるのです。
心のヘビースモーカーと話をすると、どうしてもそういう話になってしまいますよね。
そういうときはフンフン言って右から左に流しますが、フンフン言ってそばにいるだけでもそのマイナスの煙を吸っていることになるのではないかと思います。
そんなことを言いながらも、今思えば佐々木は小さい頃からかなりの心のヘビースモーカーでした。
人を見れば無意識にアラ探しをし、悪い部分を心で軽蔑したり、陰で他の 人と言い合って笑ったり・・。
当然自分自身のアラ探しをし、自分自身を好きになれなかったりもしました。
自分自身のアラ探しをすることが、自分に厳しいことだと勘違いしていました。
それは間違いで、自分の欠点(と思われるもの)も含めて自分自身を認めていかないと、他の人も認めることができません。
そのような考えにシフトしてから、周囲のクルマの見え方が変わってきました。
それまでは、周囲のクルマ=赤の他人・敵、という見方だったのが、周囲のクルマ=身内・味方、というように見えてきたのです。
小さいころから周りの人がそういう(悪口でストレス発散の)考えが多かったので、その影響を受けたのも事実ですが、やはりそのような良くない考えを選んできたのは、他でもない� ��分自身なのだと思います。
そして、そのような良くない考えを選ばない・捨てる、ということを自分自身で選びます!
以前読んだ本に、こんなことが書いてありましたよ。
参照→<心の中の幸福のバケツ
(本当の)タバコの喫煙者と非喫煙者の平均寿命の違いは男性5.5歳、女性7歳だそうです。
ところが、ネガティブな感情を抱きながらの生活(=心のタバコ)は、10歳以上も平均寿命を短くしてしまうらしいです。
心のタバコが、リアルのタバコよりも寿命を縮めるなんて!
心のタバコにも注意書きが必要ですね。
[あなたの健康を損なうおそれがありますので、愚痴・文句・悪口の言いすぎにご注意ください]
「アナタはそれでも心のタバコを吸いますか?」
【善を施す】
そこで、人に善を施しやすいものが、クルマの運転なのです。
分かりやすい例は、他のクルマに道をゆずってあげることです。
佐々木はゆずってあげたくて仕方がないので(笑)、ゆずってあげるチャンスがあると、逆に'ありがとう'という気持ちです。
それはもしかしたら、ただの自己満足かもしれません。
偽善かもしれません。
しかし、何も行動しないよりは、偽善でも行動したほうがよっぽどいいという想いで運転しています。
ゆずり方も意外と難しいところがあって、ヘタにゆずってしまって危なくなったり、余計に交通がスムーズに流れないようなことにならないように気をつけなければなりません。
また、ゆずりすぎて後ろのクルマに迷惑を掛けないようにしなければいけませんね。
近江商人の教えに「三方よし」(相手、世間、自分の3つが良いこと)というのがありますが、クルマの運転(ゆずること)もまさに「三方よし」(相手の車、周りの交通、自車が良くなる)の精神が大切です。
その3つを考えながらゆずることって、実はレベルが高いかも。
道や進路をゆずることほど、人に善を施し� �すいものはないのですが、「ゆずること」と一言で言うけれど、そのカタチはいろいろあります。
1) 横断歩道・自転車横断帯で歩行者・自転車にゆずる
サウスカロライナ州の女性の健康状態は何ですか
2) 自分が直進・左折のとき、対向右折車にゆずる
3) 前を走行しているクルマが自分の車線に進路を変えようとしていて・
または自分の車線に合流しようとしていて
4) 道路外・脇道から自分の道路に入ろうとしているクルマに
5) 後続車に道をゆずるため、左に寄って
6) 空いた駐車スペースに入ろうとしたクルマに
7) せまい道で行き違いをするとき、止まって
この中で、徳が高い行為は、5)の後続車にゆずることだと思います。
なぜなら、まずテクニック面で難しいところがあるからです。
前方が見通しの良い道路で安全を確かめ、左に合図を出して、しっかりスピードを落として左に寄って、追い越しやすいようにしてあげなければいけません。
それと、追い越されるという、あまり面白くないことを受け入れるメンタルも必要になります。
また、ゆずること以外でも善を施すことができる行為は、たくさんあります。
1) 駐車スペースをわざと遠い場所に停める
2) 遅いクルマ・バイクを温かく見守る
3) 道路上の歩行者・駐車車両をじゃま者扱いしない
4) 渋滞でもイライラしない
5) マメにエンジンスイッチを切る
6) ゆずってもらったら手を挙げるか、頭を下げてお礼
7) 青信号に気がつかない前車を怒らない、上手に教える
8) 危ないクルマを気にしない、近づかない
9) 事故・故障のクルマに協力してあげる
10) 指示器などの合図を早めにしてあげる(早すぎは×)
11) 車間距離を多めにあける
etc・・・
あなたは他にどんなことを思いつきましたか?
'善を施す'というのは、奥が深いですね。
車間距離を空けなければならない理由として、学科教本に書かれているのは以下の2つです。
1、 前者が急に止まっても、これにぶつからない為に
簡単に言うと追突しないように、ということです。
これについては、前のクルマが急ブレーキで止まったときだけでなく、何かに衝突して止まった場合も含むわけです。
2、 車間距離が近いと前方の死角が増えるので
これは前のクルマが車高の高いクルマの時によくわかるのですが、前につめすぎると信号をはじめ前の状況が見えなくなるために、信号無視や追突の可能性が高くなります。
学科教本ではこの2つですが、3つめとしてこの理由があります。
3、 前のクルマにプレッシャーをかけないため
それが故意であれ無意識であれ、車間距離が近いということは、前のクルマのドライバーにプレッシャーをかけることになります。
あなたは、何も悪気はないかもしれません。
そのような、無意識に車間距離が近くなってしまうドライバーに対して怒ってみても意味がありませんが、前車に対する心配りも忘れずにいたいものですね。
クルマを運転していて、後ろの車にあおられたり、後ろのクルマの車間距離が全然ないという経験は誰にでもあります。
もしそんな経験が一回もないという人がいるなら、その人は相当な飛ばし屋で、免許証が無事である可能性は低いでしょう。
それでは、もし後ろの車にあおられたり、後ろのクルマの車間距離が全然ないという事態になったらどうするか。
2つの方法があります。
<1> 気にしない。
これが一番。
<2> ゆずる。
追い越しやすそうなところで(対向車の見える直線の道路がいい)、左に合図を出して、左に寄って、ブレーキで速度を落とす。必要に応じて停止する。
この行動をとることで、徳を積むことができるはずです。
この2つの方法は、自分自身を成長させる良い方法です。
特に<2>の行動がスマートにとれるドライバーは、尊敬に値します。
ダメな行動はたくさんあります。
挑発に乗って、逆に挑発した走行をする。
気にして速く走る。
わざと遅く走る。
ブレーキを踏む。
サイドブレーキをクイッと引く。
メンチを切る(ガンを飛ばす)。
後ろのクルマからのマイナスの感情を受け取って、こういう行動になりがちだと思うので、お互い気をつけましょうね。
クルマの運転とスポーツは共通する部分が多いのですが、練習のしかたも共通します。
それは、どっちも「基本となる型(形)を反復練習」と「実戦(それを細分化・局地化したものも含む)」に分かれるところです。
上記の柔道の「打ち込み」に限らず、野球・テニス・剣道などの素振り、シャドーボクシングなど、スポーツの練習は基本となる型の反復練習が必ず存在します。
一流の選手ほど、そういう正しい(キレイな)型の反復練習を相当数やっているか、やってきたはずです。
運転でいうと、教習所での場内教習がこれにあたります。
'箱庭'と呼ばれる限られた場内コースで基本動作を反復練習するのです。
それに対して「'箱庭'と呼ばれるような狭い場内� ��ースじゃ練習にならん!」と言うのは早計で、狭いコースだからこそ基本動作の反復練習が効率よくできるのです。
例えば左折の仕方だけを練習したいとき、路上であれば左折する交差点が限られていますよね。
これを路上でやろうとしても、次の左折できる地点までは距離があるはずなので不可能に近いのです。
なので、決まったコースで同じことを反復練習します。
場内コースではいろんなコースの組み立て方があるけど、それができるまではワンパターンでいきます。
ワンパターン化は、別の言い方をすれば"ホームゲレンデ化"です。
自分のホームゲレンデやホームコースを持つのはプロスキーヤーやプロゴルファーのやり方で、その一つの場所で技を極めることで他の部分(場所)でも通用するし、応用が効くようになるのです。
まずは一つのコースを地道に反復します。
そこで型が身についたら、他の場所(応用)へ行けばいいのです。
すでに免許はあるけど、教習所を卒業して運転することに二の足を踏んでしまう方については、次の方法を。
まず家の周りや駐車場の周りの道でルートを考えて、それをホームコースとして走るようにします。
本当に運転が怖い人は、特に簡単なルートで敷居を低くしましょう。
そこで反復練習をしていけば、いつか必ず自信がついて足を延ばしたくなるはずです。
そうなればしめたもの、パソコンで目ぼしい場所を調べて、そこを目的地としてドライブしてみましょう♪
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