2012年4月24日火曜日

人間原理とは何か


この宇宙には、なぜ私たち人間のような理性的な存在者がいるのだろうか。人間は偶然この世に現れたのか、それとも現れるべくして現れたのか。人間が存在しない世界は可能だったのか。

1. 人間の存在は奇跡である

人間のような理性的存在者が、否それどころか原始的な単細胞生物であっても、宇宙に生まれてきたことは必然ではなかった。もしもビッグバン初期の膨張速度が実際よりほんの少し速ければ、重元素(水素やヘリウム以外の元素)や銀河が形成されず、低濃度の水素ガスが希薄になるだけの歴史しか展開しなかっただろう。逆にもし膨張速度が実際よりほんの少し遅ければ、宇宙は数分の一秒以内に崩壊しただろう。いずれの場合にも、生命の存在余地はない。生命を育む宇宙を初期の特異点が作る確率は10のマイナス1230乗と試算されている。


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宇宙開闢の段階で、生命誕生はもう既に十分偶然的と言えるが、生命が誕生する条件が整うためには、これ以外にも多くの偶然が重なっている。プランク定数、光速度、電子と陽子の質量比などが現在の値と異なっていても生命は存在しなかったはずだ。またこうした基本的な条件がそろっていても、もし太陽系の適正な惑星数、太陽と地球の間の適当な距離、地球の程よい重力、大気の温暖効果、太陽風や紫外線のカットなど様々な偶然のうち一つでも欠いていたら、地球上に人間は誕生していなかっただろう。

2. 結果から原因を説明する

このように、宇宙に人間が現れたのは、奇蹟的な偶然である。この偶然を説明するために科学者が持ち出した仮説が、人間の存在から宇宙を説明する人間原理である。ビッグバンから人間の存在を導こうとすると、奇蹟のオンパレードになってしまうが、人間の存在から宇宙の現状を導こうとすると説明に必然性が出てくる。ただ科学者は原因から結果を説明する因果論的説明に慣れているので、結果から原因を説明する目的論的説明に反発する科学者も少なくない。


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人間原理には弱い人間原理と強い人間原理がある。前者は、「宇宙の年齢は100億年以上である。なぜなら、主として重元素からできている太陽系や人間が存在するためには、宇宙の開闢当時存在しなかった重元素が星の内部で合成され、それが星の爆発によって外部に放出され、そこから太陽系ができるまでに100億年以上かかるからだ」といったもので、常識の範囲内である。

強い人間原理はもっと過激である。宇宙の存在は人間のような知的生命の認識にかかっており、もし宇宙に知的生命がなかったとすると、その宇宙の存在は認識されないのだから、存在しないも同然であるとまで主張する。こうした「我思う、ゆえに宇宙は存在する」という主張は、自然科学者にとっては奇妙に思えるかもしれないが、哲学者にとってはおなじみの超越論的観念論である。


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3. 超越論的観念論としての人間原理

素朴実在論を信仰する人々は、超越論的観念論に非科学的というレッテルを貼ってきたが、現代科学は、超越論的観念論と親近性をむしろ強めている。宇宙の年齢にしても、観測できる最も遠くにある天体、クェーサーが150億光年の距離にあるので、ビッグバン以後、光が宇宙を進めるようになった宇宙の晴れ上がりは150億年前頃だろうと推定するのである。私たちの認識は光を通じて行われ、そして光の限界が宇宙の限界だとするならば、そこから認識の限界が世界の限界だという超越論的観念論のテーゼが帰結する。

超越論的観念論は、認識主体が存在しなくても存在する、限界のかなたの世界を物自体と名付ける。定義により、物自体を認識することはできないが、その存在を想定することならできる。物自体など存在しないという哲学者もいるが、前回の「宇宙は一つしか存在しないのか」で取り上げた量子力学の多世界解釈を使えば、物自体の物理学的対応物を見出すことができる。


量子力学の多世界解釈によれば、宇宙はミクロなレベルでの可能性の数だけ分岐し、結果として無数の宇宙が実在することになる。もしも宇宙が一つしか存在しないなら、10のマイナス1230乗の確率でしか起きない出来事が起きることは奇蹟だが、もし10の1230乗個の宇宙が存在するなら、そのうちの一つに生命が存在しうる宇宙があったとしても驚くに値しない。

哲学の世界では、長らく因果論的機械的世界観と目的論的有機的世界観が対立してきた。多世界解釈に基づく人間原理はこの二律背反を止揚することができる。すなわち、宇宙開闢以来、あらゆる可能性が実在する宇宙として機械的に分岐し、そのうちの一つとして私たちが存在する宇宙が生まれたに過ぎない。しかし、その宇宙一つだけを取ってみるならば、現在の私たちの存在を前提に宇宙の過去を説明する目的論的説明が許される。

私たちは、認識という複雑性の縮減を通じて、私たちが存在するこの世界を選び取っているのだが、複雑性の縮減を通じて排除された他の世界については、間主観的認識システムという孤立系の環境に属するがゆえに、何もわからない。しかしそれを空想の産物として片付けるわけにはいかない。むしろ、認識の限界を超えた多世界の総体こそ物自体にちがいない。



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