Part2-day1(7)
4、ハワイでの個人セッション(第2回)
1日目(2003年7月11日)
(7)私のブループリントは何か?
キ:ウ〜ン、なんとなく解るのですが、、、。でも具体的に「この私のブループリントは何か?」と問いかけると、さっぱり解りません。
フ:順を追って答えよう。
まず、カルマとブループリントの違いは解ったかな?
それからあなた個人の事について話そう。それは違った主題だからね。
真実という観点から、カルマとブループリントの違いは理解したかな?
キ:ええと、、、。ブループリントは、現象世界に現れる以前にあらかじめデザインされているものなのですね。
フ:そう、宇宙が既にデザインしている。
それこそが、あなたの究極の可能性だ。
キ:一方カルマの方は、現象世界つまりこの地上に降りて来てから、原因と結果によって生じるものですね。
フ:そう、あなたの選択によって生まれる。あなたの自由意志がそのベースとなる。
あなたは自由意志を持っているだろう?
あなたはたった今、選択出来る。
キ:ええ。
フ:その事がカルマを創る。そして、恩寵や悟りがやって来る高次の源泉だけが、あなたのカルマとブループリントとを整合させる。
そうでないと、あなたは自分のブループリントつまりスピリチュアルな究極の可能性を追求しながら、間違った道を歩み続けるという事もあり得る。
キ:本当でしょうか?
フ:例えばヨガビジャに対して、「あなたは集中しなければならない!」
「いつでも瞑想をしなさい!」と言っても、それは彼女の道ではない。彼女のブループリントに整合しない。
ガイダンスのみが、それを見極める事が出来る。
他の誰もそれを見極める事は出来ない。
一般的な瞑想や自己探求をしてスピリチュアルな道を歩んでも、より意識的な人間にはなるかも知れないが、それだけではゴールには到達しない。
自分の道は何か、自分のブループリントは何か、自分の天命は何かを、よく見極める必要がある。
そうして自分のカルマが何をしているのかも、しっかりと見なければない。
自分のカルマがこちらへ連れて行こうとし、自分のブループリントがあちらだったら、どうだろう?
もしあなたが私と出逢わなかったら、「キヨタカ、10日間の禅リトリートをしなさい!」「21日間の禅リトリートをしなさい!」「集中!集中!」「坐禅!坐禅!」といった、修行の教えにだけ従っていただろう。
しかしそれでは、あなたがシフトする事はあり得なかった。
それでは不可能なのだ。
あなたの潜在的可能性を見て、つまりあなたのブループリントを見て、「ただ穏やかで在りなさい」とあなたに語りかけ、あなたのブループリントに触れてそれを開きカルマと整合させる事で、突然あなたはシフトを体験した。
(タイブレーク)あなたは学校で台所にどのように入手できますか?
禅寺などでどんなに厳しい修行に明け暮れても、それは不可能だった。
その違いが解るかな?
ガイダンスのみが、ブループリントを見通せる。
今は私だけがガイダンスと繋がって、ガイダンスが私を通してブループリントについて語れる。
他に見通せる人はいない。
スピリチュアルな分野においては、恩寵によるガイダンスがあなたを見て、何をして何をすべきでないか完璧なインストラクションが与えられる。
キ:う〜ん、そうでしょうか?
{「今は私だけがガイダンスと繋がっている」と言われ、反発を感じた。「私はともかく、アジズはどうなのか?」と問い返したかったが、う〜ん、と言う言葉がやっと出てくるだけだった。}
フ:私が昨年の春初めて日本を訪れた時、多くの探求者のカルマが自己のブループリントと整合していない事が見えた。
一生懸命に「修行」はしているのだが、何処にも到達していない。
だからカルマワークをして、カルマとブループリントを整合させる必要があった。
そうする事で、彼らは潜在的な可能性や天命と整合し始めた。
そして、自然に開花が起こるようになった。
それまでは、本当の意味での成長がなかった。
誰もがただ、「気づこう、プレゼンスにいよう」と頑張っていた。
それはそれ自身、贈り物ではある。
しかし、プレゼンスに焦点を合わせるのは、始まりに過ぎない。
その後で、カルマとブループリントが整合しないと、シフトは決して起こらない。
カルマワークをした後で初めて、日本の生徒達はより花開く様になった。
何かを達成するのではなく、内側から開く事でシフトがより簡単に起こり始めたのだ。
解るかな?
キ:ええ、何とか。
フ:それがブループリントとカルマの違いで、両者の整合が必要だ。
ガイダンスだけがそれをする事が出来る。
他の誰も、それをする事は出来ない。
それは不可能だ。
そういう事だ。
私が働きかけてそのエネルギーを開いた時だけ、ガイダンスがやって来て物事が整合される。
それ以前は、整合がなかった。
人々はただ探求し続けて、同時にカルマを集め続けていた。
彼らは出発した所と同じ場所に停滞していた。
ただその事を知らないだけだった。
内側から開かれた時に初めて、整合が起こる。
あの10デーズリトリートでの私のワークは、非常にハードだった。
殆どの人々に対して初めて働きかけたので、ガイダンスを通して彼らのドアを開く事をした。
ハワイのリトリートでも同じ事をし、その後のフルーツ断食リトリートでもずっと働きかけ続けていた。
だからその後では、人々が坐ると、物事がひとりでに起こる様になっている。
どのような情報は、 piは誰かについて収集ができますか?
以前はスピリチュアルワークは困難だったが、今は簡単だ。
エネルギーが直接やってくる。
{確かにフーマンのリトリート以降は、自分が何処かへ達すべく頑張るのではなく「恩寵のエネルギーがダイレクト降りてくる」のを受け取る方へ変化しつつあった。何かを獲得するのではなく、何かを手放す事で受け取るのである。}
人々の中でシフトが起こると、その後でどんな教師とワークしても、そのシフトがどんどん成長する様になる。
それが起こるまでは、スピリチュアルな道を歩むのは困難だ。
ブループリントとの整合が起こると、道を歩むのがより簡単になる。
もちろん完全に整合するには、その後何年もかかる。
しかし私のリトリートをする度に、その整合性がもっともっと起こるようになる。
他のアドヴァイタや仏教の教師の下へ行っても、一般的な教えがあるだけで、個別に働きかける事は稀だ。
だから、カルマはあなたが創ったもので、ブループリントは神があるいは宇宙が創ったという事はもう解っただろう?
キ:しかし、私のブループリントは何でしょう?
{「魂のブループリント」と言う時、もっと具体的な人生設計図の様なものを期待していた。「あなたは将来こんな職業について、こんな役割を果たすとか、、」だからフーマンが私のブループリントについて語ったと言っても、言われている私には全然ピンと来るものがなかった。「悟るのがブループリントだ」としか聞こえない。この際だから、出来るだけ具体的な内容を聞きたかったのだが、、。}
フ:私があなたと会ってからあなたに語った全ては、あなたをブループリントとへと整合させるためのものだ。
マインドつまりカルマを引き離し、あなたをノーマインドへそしてハートへと導こうとしている。
そして、ただある(just be)という、存在の自然な境地をもたらす。
それがあなたのブループリントだ。
あなたのやり手(Doer)、サムライの部分を落とし、もっと手放して行く。
そうする事で、整合が起こる。
そうでないと、どんな教師や教えに従っても、あなたは決して到達しない。
なぜなら、まだカルマがあなたの中にあるからだ。
どんなに驚くべき神秘体験をしようと、カルマが、マインドの根源が残っている限り、自由にはなれない。
私がOSHOを賞賛する理由はここにある。
OSHOはマインドにも働きかける必要性を見て、弟子にそのワークをさせた。
最初はセラピーを通してだが、それは初期の段階だ。
しかしだんだんと、カルマとブループリントを整合させる必要がある。
マインドの根源であるヴァサナに働きかけるのだ。
そうしてヴァサナが引き抜かれる事で、シフトが起こる。
カルマとブループリントの違い、それからあなたのブループリントは何かについて、その両方の質問に答えた。
ハウ·ハイ·ザ·ムーン、大学の紳士
キ:最初の質問については答えをもらいましたが、2番目の「私のブループリントは何か?」については、まだ非常に曖昧です。
フ:なによりもまず、あなたはマインドを使ってブループリントを理解しようとしている。
しかしマインドでは理解出来ない。
自己の本性に寛いで、それから初めて解る事だ。
数分前に既にあなたに答えたはずだが、あなたは聞いていない。
キ:、、、。
{結局の所、マインドの情報としてブループリントを知るというのは不可能なのだろうか?}
フ:もう一度言おう。
あなたのブループリントは、スピリチュアルな天命と整合し、ゴールである悟りへと近づく事、それがブループリントだ。
そして、そのためにどうすべきかのガイダンス、が既に与えられている。
私があなたと出逢ってからあなたに対して働きかけてきた事の全ては、あなたをブループリントへとより近づける為のものだった。
あなたが私に出逢わなかったら、あなたはまだサムライエネルギーのままで、非常にマインドに止まっていただろう。
私は、既にあなたをブループリントと整合させた。
それはノーマインドにさせる事だ。
あなたのブループリントは、マインドから離れる事にある。
カルマの全てを手放して、ハートへ、沈黙へ、そしてノーマインドへと落ちる事だ。
そして、クレージーなやり手(Doer)としてのあなたのカルマを取り除く事だ。
あなたに起こったシフトは、カルマからブループリントへのものだ。
古い自己から、本当の自己、潜在力のある自己へのシフトだ。
私と出逢わなかったら、あなたは古いパターンを繰り返していた。
カルマはいつでも、自分が既に知っている所へとあなたを引き戻す。
あなたは、いつでも禅や集中瞑想、長時間坐り続ける事へ惹き付けられる。
長時間坐ったり瞑想したりすると、瞑想のある深い境地へと到達はする。
しかしそれは坐っている時だけの事で、瞑想を止めて立ち上がったとたんに、何も残らない。
マインドとはコンピューターのようなもので、あなたは直ちにマインドへ戻る。
なぜならマインドは、あなたを通して生きているからだ。
それはウィルスの様で、あなたに寄生して生きている。
「あれをしろ」「これをしろ」と、あなたを絶えずせき立て行動に駆り立てる。
私はそれを取り除いて、あなたを正常な在り方に戻した。
そしてあなたのエネルギーを目覚めさせて、ノーマインドになる様に、真実の自己になるようにした。
私はあなたのハートの中に入り込んで、その中にあるドアを開け、同時にマインドの大きな部分を落とした。
だから、今後はリトリート等のスピリチュアルなワークをすると、あなたの中が広がる体験をし続けるだろう。
それはもう古いあなたではなく、新しいあなただ。
そしてこの新しいあなたこそが、真実の自己だ。
それがあなたの潜在性であり、ブループリントだ。
このシフトのお陰で、物事は今までとは違って全て上手く行く様になるだろう。
なぜなら、あなたは徐々にブループリントと整合し始めているからだ。
一年前のハワイ・リトリートの時は、まだあなたは非常に微妙で、ちょうど手術直後の様なデリケートな状態だった。
だから古い自己へ戻らぬ様、様々な注意を与えた。
今は過渡期が終わり、古い自己と新しい自己はそれほど繋がっておらず、そこにギャップがあり分離が起こった。
その新しい方の自己が、ブループリントだ。
ノーマインドになる事、マインドから自由になる事、ムクティ(解脱)だ。
それは集中の道ではなく、瞑想の道ですらない。
全てを超越する道だ。
これら全てから抜け出すのだ。
クリヤーかな?
キ:ええ、なんとなく、、、。
{「瞑想の道ですらない」とまで言うフーマンの言葉は威厳に満ちて揺るぎがない。しかし「瞑想」の代わりに与えられた「ブループント」や「新しい自己」なるものが、未だ抽象的概念に止まり実感が乏しかった。だから「なんとなく」としか答えられなかった。}
フ:今はまだ、赤ん坊の状態だ。これからどんどんと正しい方向へ向かって成長が始まる。
以前は、まだ正しい方向へは向かっていなかった。あなたはまだ探求をし続けていた。
人々は何生にも渡って探求し続ける。それが、サンサーラ(Samsara/輪廻)の本性だ。
そしてそこで行き詰まったままだ。
カルマは非常に強い。
マーヤ(Maya/幻想)は、とてもパワフルだ。
あなたは、その事に気づきもしない。
あなたは自分がスピリチュアルな人間だ、と思っている。
そして瞑想に親しんで、とてもよくやっている、と思い込む。
しかし実際には、正しい方向へは行っていない。
物事が、あなたに相応しいようには起こらない。
それは、絶えず探求し続けているからだ。
探求する事で、マインドはさらに強化されてしまう。
クリスタルの様にクリヤーかな?
(8)ガイダンスに繋がる方法は?
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